凛と美汐は港を歩いていた。天気はよく、穏やかな風と波に揺られるどの船にも凛の所属している大学のロゴが入っている。
「全部、実習用なんですね」
「海洋調査船と漁船だよ」
「漁船……? 魚をとると挨拶でいっていたのは本当だったんですか?」
「事実だとも。意外と人気があるんだ」
奥に停泊している船を指さして美汐は、
「あれが母船です」
「こんな小さな船が母船とは、驚いた」
凛はコンクリートの上をゆっくり歩いて、母船を観察する。どうやら、胴体が3つあるタイプのようだ。2階に操縦席、1階が客室、後部には潜水艇が固定されているのが見て取れる。全長は約40mほどだろうか。
「クレーンがないようだが、引き上げはどうするんだい?」
振り返ると、いつの間にか美汐は凛のすぐそばに立っていた。
「この母船が少し沈むんですよ。ワイヤーで接続、巻き上げて固定、そして浮上します」
「手の込んだことする。理にはかなっているのか?」
「そうですね、航行能力を失った潜水艇を回収するときにも使えますよ」
「なるほど、それは便利そうだ。出番がないことを祈るよ」
「同感です。出航しましょう。予定ポイントまでの間、船の中を案内します」
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大型の母船だと長期航海を想定して居住性を高める工夫がされているが、この船に立派な客室があることに凛は驚いた。
「クルーザーのようだね」
「お客様に快適に過ごしてもらえるように、という工夫です」
「なるほど。これは売れそうだ」
「先生は買った人なんですから、好きに使っていいんですよ」
「一通り案内してもらってからにするよ」
客室の階段を上ると操舵室だ。一人用の操舵席だが空間には余裕があり、狭苦しさは感じられない。視界は広く、後方を表示するディスプレイや海上レーダー、ソナーなど観測結果が表示されていた。後ろには仮眠スペースも設けられている。
「二人交代できるようになっています。多くの場合はオートパイロットで十分です」
「制御AIもここに?」
「先生の横の柱状のユニットがそうです」
反対側に回り込んでみると、制御AIユニットの文字が印字されていた。
「ふむ」
「どうかしましたか?」
「いや、操舵士がいてもいいと思ったんだが、この予定ならいらないという話をしたね」
「ええ、ですから、二人っきりですよ」
凛は外を見て、気が楽でいい、とつぶやいた。
「何か言いましたか?」
「気が楽でいい、といったんだよ」
その言葉に美汐は微笑んだ。
「すまない、電話だ」
「どうぞ」
凛は数歩離れて電話にでる。二三やり取りした後、すぐに戻ってきた。
「すまない。ゼミの子の実家が例の現象に巻き込まれたので急ぎ戻る必要があるとね」
「中止して戻りますか?」
「いや、戻ってもできることはない。車を持っているメンバー何人かで交代しながらいくそうだ」
「アクティブですね」
「若者は元気であってくれないと困る」
階段を降りながら、凛は笑う。そうですね、と美汐はうなずいた。
「見られるべきものは見せてもらったのかな」
「あとは、潜水艇への通路ですが、それは実際に潜るときに取っておきましょう」
「好きなものは最後まで取っておく派かい?」
「当ててみてください」
「自分のであればその時の気分に従うタイプだ」
「……正解です」
凛がソファに腰を下ろすと、美汐もそれに倣った。
「着くまでに今回の潜航の目的とコースの確認をしようか」
鞄から取り出したタブレットの画面をつつきながら凛は言った。わかりました、と美汐は凛にくっつくようにして、タブレットを覗き込む。
「君は、猫か何かか」
「見て、わかりませんか?」
凛は悪戯っぽい笑みを浮かべる美汐を見て、猫だな、と結論付ける。そして、何事もなかったかのように説明に入った。