DAYS

あおはるゆーす

 家計簿アプリを見て、交際費の割合が増えつつあること気がついた。いや、この数ヶ月、気がついていたし、理由もはっきりわかっている。ただ、お金がないことを理由に減らしたくないから。しかし、目をそらし続けるにも限界はある。他を削ってやりくりしていたが限度はある。

「バイトするかい?」
「なんのバイトですか」
「採点」
「それ前に1時間500円ぐらいでしたよね」
「いい記憶力だ。奢ってもらったら?」
「意地はあるんですよ、学生でも」
「相手が社会人だと限界あるんじゃないか」

 教授の言葉に動きを止める。いやいや、ここでそういう話はしてないぞ。

「初歩的なことだよ」
「原作読んでないのにネタにするのやめましょうよ」
「これは手厳しい。しかし、話題を逸らすには今一歩だね」
「いつまで食いつくんですか」
「教え子が経済的困難から脱するのを見届けるまで」
「なら、まだ落ちてないですよ」

 その必要はないの意味を込めて言う。教授は一瞬、苦笑してから扉に向かって歩き出した。

「採点のバイトはさておき、バイトは紹介できる。必要になったら言ってくれ」

 教授はそう言って扉を開け、何か思い出したらしく、立ち止まってこちらを見て、

「何になるかはその時次第だけどね」

"明日はどこへ行く?"

 彼女からのメッセージだ。会う約束まではして、具体的にどこへいくのか決められずにいた。何をするにしてもお金がかかる。

"難しいなら難しいといってほしい"

 難しいというのが難しい。眉間に皺ができていることに気が付いて、ため息ひとつ。皺をほぐすように揉んでから、そもそも何が難しいんだ。また自己分析か、さらにため息。

"難しくはないです"

 何が言いたのかわからないぞ、と自分のメッセージにあきれる。

"わかった。明日はこの駅で合流しましょう"

 指定されたのは大学の最寄り駅だ。普段、一緒に行く博物館や水族館などはない。自分の庭だとまで言わないが、土地勘はあるから案内はできる。退屈はさせないと思う、たぶん。

"会えるのを楽しみにしてる"
"はい!"

 ちょっと、はしゃぎすぎたか?

 翌日、見慣れた駅の改札に彼女が立っていた。薄手のダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んでいるから、恰好から仕草までラフな印象だ。

「すみません、待ちましたか?」
「ちょうど来たところよ」

 彼女は柔らく微笑んだ。この笑顔だけはどこでも変わらない。

「このあたりには不慣れなの」

 と彼女は微笑んだまま、こちらに手を差し出して、

「エスコート、よろしくね」

 この人に不慣れな場所はあるのだろうか、と浮かんできた疑問を振り払って、手を握る。
 最初に案内したのは新書から古書まで扱っている本屋だ。狭い店内には背の高さより高い本棚が等間隔に設置され、棚にはびっしりと本が並んでいる。

「大学に近いだけあるわね」

 彼女は法律関係の本を手に取って、ぱらぱらとめくってから、あるページをこちらに見せてきた。

「線引いてますね」
「次のテストで出る、ね。付箋もそのままだから、同じ講義を取るヒトにはお宝かしら?」
「意外と法改正や新しい判例で変わるから、むしろ逆かもしれませんよ」
「ふふ、難しいわね」

 本をもとの棚に戻して、次の列に向かう。本を読むというより、何が並んでいるかを見ているような。

「どんな本が扱われているかを見れば、その街がわかる。そういう話を聞いたことはないかしら?」
「コンビニの品ぞろえでわかる、と聞いたことはあります」
「似たようなものよ」

 そうすると彼女には学生街の本屋らしい、と思っているのかもしれない。
 本屋の外に出ると腹の虫が鳴った。何もこんな時にならなくてもいいだろう。眉を顰めるこちらを見ないで、彼女はハンドバッグから端末を取り出して時間を確認して、

「お昼にちょうどいい時間ね」
「そうですね。何か食べたいものはありますか?」
「普段、あなたが食べているものがいいわ」
「それだと学食なんですが、今日は閉まってるので――」

 こういう時にいいお店といえば、何でも屋があった。手頃な価格でボリュームもあるハンバーグ定食が人気の洋食屋だ。何でも屋なのはぱらぱらのチャーハンや鳥ガラの醤油ラーメン、そばやうどん、カレーなどの扱いもあるからだ。通い慣れるとメニューにない品も頼んだら出してくれる。ここしかない、と彼女の手を引いて、通り慣れた商店街を進む。こんなに色彩豊かな場所だったかな、と思っているうちにお店に到着。扉をくぐると人はまばらで、厨房から店主が顔をのぞかせて、

「そこの4人席が空いてるよ」

 と一言。ここは安定のぶっきらぼうだと思いつつ座る。テーブルの上はきれいで、箸なども一式揃えられていた。メニューを広げて、彼女が読みやすい向きにする。

「ありがとう」

 メニューに目を通しながら、彼女は小声で、

「無愛想なヒトと縁があるようね」

 こちらも顔を近づけて小声で返す。

「ホットサンドのお店」
「そう、そこを思い出したわ」

 確かに似てる。そんなやり取りをしながら、注文を決めていく。彼女はハンバーグ定食、自分はカレーと塩ラーメンのセットだ。店主が厨房から離れないので大きな声で注文すると、あいよ、と威勢のいい声が返ってきた。たぶん、通ったのだろう。

「ハーフサイズではないのね」
「たくさん食べたいときに助かるんですよ」
「なるほどね」

 何がなるほどなのだろうか。

 彼女も彼女でボリュームのあるハンバーグ定食を上品に食べ終えて、こちらもこちらでカレーと塩ラーメンのセットを平らげる。同時にご馳走様と言えたのは奇跡だろう。気は使ったつもりだけども。
 会計を済ませて店を出る。時刻は14時で喫茶店に入るにはまだはやい。

「しばらく、歩きましょうか」
「そうですね」

 彼女の提案で街を散策することになった。あの変わったデザインの建物は何かと聞かれ、とある国の大使館だと答えたり、気まぐれで普段は通らない路地裏で昼寝している猫を眺めたり、猫に逃げられないよう一歩下がった位置にいる彼女に気が付いたり、気の向くままの自由な散歩を楽しんだ。
 さすがに足も疲れてきたので喫茶店に入る。平日なら学生でごった返しているが、今日は人がまばらだ。すぐに案内されて席に座れた。

「今日もいろいろ見つかったでしょう」

 メニューを見ながら彼女は言った。

「ええ、こういう場所だったんだ、と驚きました」
「意外と同じ道しか通らないから、一本外れるだけで違う光景が見られるのよ」
「そうですねえ」

 渡されたメニューを受け取って、コーヒーの一覧を眺める。視線を感じて、前を向けば頬杖をつく彼女と目が合った。

「こういうのも悪くないと、私は思うのよ」
「こんな場所でも?」
「どんな場所でも、と言ったら強気かしら」

 くすっと彼女は笑って言葉を続ける。

「あなたが告白のときにいった言葉、覚えてる?」

 店員を呼ぼうとした体が止まる。一緒に過ごしていろんなことをしたい、あなたを知りたい、そんな趣旨の言葉を言ったのだ。

「ここで言わないでくださいよ」
「覚えているならいいわ。散策したから見えたものもあるでしょう?」

 路地裏で寝ている猫なら逃げられない、と言っていた彼女を思い出す。今日のように過ごさなければ知らなかった一面だ。

「普段過ごしている景色を見せてもいい頃合いだと思うの」

 でも、彼女、普段過ごしている場所も高そうだ、と思う。

「毎日、あなたを連れて行ったお店で食事していたら、生活が立ち行かなくなるわ」
「心が読めるんですか?」
「顔の横に吹き出しがでてるのよ。特別な日や少し頑張りたい日のためのお店から選んでいたの」
「普通は何を食べてるんですか?」
「立ち食いそばとか」
「えー」

 いや、ファストフード食べてるのだから、はやい店を選んでいるのはおかしくない。が、想像するのがなかなか難しい。

「吹き出し」
「何か意外です」
「そのうち意外が当たり前になるわ。一緒に過ごしていればね」
「確信に満ちてますね」
「あなたより長生きしているもの」

 彼女は笑いながら店員を呼び、チョコレートケーキと紅茶を注文をする。そういえば、この人、甘いものが結構好きなんだよな。猫には逃げられるタイプだとはそもそも考えることもなかった。

「あなたは?」
「ホットコーヒーをひとつ。それと、チョコレートケーキを」

 彼女が意外そうな顔をした。

「吹き出し、出てますよ」

 自分がそういうと、彼女は頬杖を崩して笑った。