DAYS

『浮上』

「浅間、彼女の精神構造体の歪み計を見たか?」
ベッドから起き上がると同時に上司兼相棒の中田が話しかけてきた。
意識が現実世界に浮き上がってきた影響で体に違和感を覚える。
これは、自分の体ではないぞ、と脳が叫び、いや、自分の脳ではないと体が言い返しているようだった。
何度やってもこの感覚だけはなれそうにない。
黙れ、と脳と体に言い聞かせながら、
「いや、見てない。構造体そのものは無事だったが」
見たことのままを伝えると中田は、
「強度限界ぎりぎりだ。よく耐えてるよ」
と感心したように言った。
おれは首を横にゆっくりと振って、
「顕在構造物が全滅している。耐えてる、とは言えない」
中田は声に力を込めて、
「生きている限り、希望はある」
と言った。
それが彼の信念だった。
「可能性としてはそうだが、彼女がそう思うかは別だ」
彼は生きている限り、希望を見つけられる才能を持っている。
日陰で生きている方が心地よいと思う身としては、彼の明るさが眩しく感じられる。
「そうだな。何か飲むか?」
「珈琲がいい。熱いのを」
「夏だぞ」
そう言いながら中田はコーヒーポットに手を伸ばしていた。
「寒かったんだ。向こうは」
「そうか」
「海を見た。波もなければ浮いているものもない」
「空は、どうだった?」
「薄い雲が途切れることなく広がっていた。深度計がなかったらどこにいるかもわからなかっただろうさ」
「普通、どんな人間にも何かしら構造物があるはずだが」
健康な人間の精神であれば、精神の土台となる精神構造体の上に構造物が伸びている。
精神構造体は深層意識、構造物は顕在意識の表現だ。
「機械にも記録が残っているだろう?」
「ああ、しっかり残っている。何かの見間違いでは、と思ったが、そうでもなさそうだな。――砂糖とミルクはいるか?」
「ブラックでいい」
「胃が荒れるぞ」
「刺激は強いほうが目が覚める」
「若さだな」
にたり、としながら中田は言った。
「おれとあんたは大して年が離れてないんだ。やめてくれ」
「そうだったな」
中田はおれより3つ年上だ。
二十歳過ぎの数年など、大した差ではないと言われるがおれには彼がとても大人に見える。
「レポートは今日中に書いて送る」
「短すぎやしないか。――熱いぞ」
「注文どおりだ――ありがとう」
カップを受け取り、そのまま、一口飲む。
黒い液体が口を通り、喉を下り、胃に消えていく。
熱が自分の身体はここにあるのだと示す。
「書くほどのものがない、ということか」
「正解だ。理解のある上司を持つと部下は楽ができる」
「あまり、頼りにされても困るがな。おれだって人間だ」
「知っている。部下の役割は果すさ」
「ならよろしい」
一呼吸おいて、
「治療しようとしても無駄だぞ、彼女は」
結論を先に述べると、中田は天井を仰いでから、
「何もないのではな」
といった。
「やりたいことがあるなら、まだ手伝う余地があるがそれすらない。ODの故障で見落としているだけならいいが」
装置の故障で見落としている可能性はゼロではない。
「話した感じはどうだったんだ?」
「そのままだよ。この場に存在することすら億劫そうだった」
活力がまったく感じられない被観察者の姿を思い出す。
白い髪、紫色の瞳、そして曖昧な笑顔。
話のさなか、笑うこともあったが嬉しいからではなく、あきらめからくる寂しいものだった。
「両親の頑張りが裏目に出ているな、おそらくは」
医者につれていけばなんとかしてくれる、金を積めばなんとかしてくれる、絶対に"直る"と思っているに違いない。
治療の類に抵抗がないのは良いことだが根本的に姿勢を間違えている。
「親に恵まれない子供は不幸だ。――レポートは渡すだろう? 覚悟しておいたほうがいい」
「脅すなよ」
「忠告だ。手強いぞ」
「手当てでもつけてくれ」
「コーヒーにミルクでもつけようか」
「やすい手当てだ」
おれの言葉に中田は苦笑した。