「この学部の目的を日常生活に落とすと、ほどほどに魚をとり、食卓まで運ぶのかを学ぶ、と言える。もちろん、かなり大雑把な説明だ。資源をいかにして増やすか、あるいは新資源を見つけられるか、そういったことも行われているんだ」
オリエンテーションの説明を一通りして、佐々木 凛は階段教室を見渡す。前列で端末に話した内容を打ち込んでいるもの、中ほどの列で友人たちと小声で話しているもの、最後列は聞いているのだかわからない学生がいる。毎年の光景だ、思いつつ、ふと、一人と目があった。こちらと目が合ったことに気が付いて、彼女は笑って見せる。凛はどういう顔をしたものかと悩み、小さく会釈して軽く手をあげる、と極小の動きで挨拶をした。
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凛は自分の研究室の前まで来ると、扉に来客対応中の札を下げて、
「適当に座ってくれ」
「ありがとうございます」
美汐が座った反対側のソファに凜は腰を下ろす。来客時にはここに座ってもらうことが多いが、普段が研究室にいる学生が仮眠に使ったりしているので、客人にはあまり座ってほしくないのが本音だった。
「入学したわけではなさそうだね」
「普段、先生がどのような講義をしているのか興味があったものですから」
「本題に入ってもいいぞ」
「もう少し他愛もない話もしたかったのですが」
「本題が終わったら付き合うよ」
その返事が意外だったらしく、美汐はわずかに目を見開き、それから、座りなおす。
「――では、本題に入ります。新しい潜水艇が入手できました」
「それは嬉しい知らせだ」
「まもなく試験航海が終わります。今月中には調査が再開できます」
「いいね、口笛でも吹きたい気分だ」
「こちらは広報用の資料です。後半のスペックのページをご覧ください」
「機動性は格段に向上、観測機器のアップデート、居住性の改善、エトセトラエトセトラ。居住性の改善はいいね」
「観測機器のアップデートを注目すると思っていましたが」
「それはもちろん大事だ。乗り心地が悪ければ人間は本来の能力を発揮しない」
人ならではの感覚や勘を期待しているからこそ、人が海に潜っている。筋は通っているが饒舌な語り口に美汐は違和感を持つ。美汐の顔に出たのか凛は、ふっと笑って、
「一番大事なのはパイロットだ」
「うちにも様々なパイロットがいます。必要でしたら、よりベテランの――」
「いや、君の操縦でなければ乗るつもりはないよ」
「それは、どのような理由ですか?」
「目だよ。まわりを観察し、最善の手を打とうとする。そういう鋭さがある」
真っすぐに言われて美汐は困惑する。凜はそのまま続ける。
「何が起きるかわからない深海で命を預ける相手は慎重に選びたい」
何より、美汐は凜に、凜は美汐に互いに命を預けたことがある。そして、助かった。改めて選びなおすものでもないだろう。
「君のいる会社だ、他のパイロットも優秀なのは間違いないがね」
「ありがとうございます」
「次は、いつだい?」
「来週の月曜から潜れます」
「なら、次の月曜日に予約したい」
美汐は端末を操作し、スケジュールを確認する。午前中に準備を済ませて午後から潜れそうだ。
「15時からです。場所は?」
「私も新しい船に慣れたいからね。任せるよ」
「わかりました。性能が披露できる場所にします」
「対面で来てもらえると、相手の目が見えるから助かる」
「人を目で判断するんですね」
「まぁ、目は雄弁だからね」
凜は姿勢を崩して座りなおし、
「もう少し話してもいいかな? まったく仕事には関係ない話だ」
「雑談するぐらいの時間はありますよ、先生」
凜は端末をくるりと回して、ディスプレイを美汐に向けて、テーブルの上に置いた。どこかの海域の小さな地震の震源をプロットしたものだ。しかし、違和感がある。このような地形は地球にも瑠璃にもなかったはずだ。
「これはどこですか?」
「とあるゲームだよ」
美汐は脱力感を覚えて、右手の指で目の上を揉むように押した。まさか、ゲームとは。
「現実世界の法則をそれなりに反映しているゲームだ。1枚目と2枚目を見比べて欲しい」
言われた通り、端末を操作して1枚目と2枚目を見比べる。1枚目では1面に広がっていた。2枚目では1か所に集中している。撮影日時を確認すると、1か月差で撮影されていた。
「現実に即していない要素のひとつでは?」
「その可能性はもちろんある」
「ゲーム内でどれぐらい技術が進んでいるかわかりませんが、人為的な現象と考えるのが妥当でしょう」
「なるほど。地質学の教授や学生にも聞いてみたが、自然現象と考えるのは難しい。そう考えるなら、ゲームのエンジンに問題があるので修正が必要だ、と言われたよ」
人脈を駆使して妙なことをする人だ、と美汐は凜を評価した。
「このゲームのプレイヤーなんですか?」
「いや。馴染みの店でこの話をしている一団に混じった結果だ」
「好奇心が旺盛ですね、先生」
「それがなかったらこの道には進めないのだよ」