[[DAYS]] *『破魔矢』 [#if25bacb] 1度目は問題ないのだが、2度目からは何かしらの問題が出てくる。 どれだけ技術が発達しようが、人の心には壁があり、然るべき手続きをせずに踏み込もうとすれば排除される。 その然るべき手続きをとるべく、おれは電車に揺られ、何処か寂れた空気のある温泉地に来ていた。 この高価な治療を受けさせ、温泉地に療養するための施設まで作れるのだから、患者の両親は経済的に豊かなのだろう。 金銭は生活する上で重要な要素ではあるが、それだけで生きていけるほど人間は器用ではない。 彼女の両親は好き勝手やった後、娘が壊れた時に気がついたようだった。 まったく、自分勝手な話だ。 仕事ができて嬉しいのと、あまり嬉しくないのと半々だ。 他人に無関心だからこそ、精神潜行調査の適正があると踏んだのだが誤りだったらしい。 他人を見ると嫌でも自分と向き合う羽目になる。 ある種の職業病であり、宿命だと我が上司兼先輩殿は言っていたが。 考え事をしている間に患者の家の前についた。 無人の門扉をくぐり、庭の中を蛇行する道を歩いてきたが、誰にも合わなかった。 庭の手入れは行き届いているから、誰かいるに違いない。 少なくとも患者の少女が一人いるはずだが、この広さの庭の手入れをしているのは別の人間だろう。 インターホンを押すとすぐに何方様ですか、と返って来た。 名乗り数秒ほど待つ。 視線を感じてそちらに目をやるとカメラがあった。 背の低い木の根元にある草花に隠れるようにカメラがあった。 インターホンにもカメラがついているのに他にもカメラを設置するとは、どれだけ警戒心が強いのだろうか。 療養施設ではない。 これは牢獄だ、と思いぞっとする。 玄関ホールは5人ぐらいが同時に出入りしても問題ない広さだ。 白一色の壁と木の廊下のコントラストが無機的な雰囲気を際立たせていた。 こういう雰囲気の施設が出てくる映画があったような記憶がある。 いつ見たものだったか。 誰かが出迎えてくれる気配もなく、おれは廊下にあがった。 廊下に従って進むと居間に出た。 南側の壁が一面ガラス張りの日当たりのいい部屋だ。 正面に見える壁はこれも一面が本棚になっている。 まるでモデルハウスのようだ、と思いながら部屋を見回す。 右手のソファに一人の少女がちょこんと座っていた。 ああ、この少女だ。 挨拶をしたらどのような反応を示すのか、興味を持ちながらおれはこんにちは、と挨拶した。 ややあってから、笑顔で「こんにちは」と返事があった。 この場面だけ見れば普通の少女だろう。 「久しぶりだな。調子はどうだ?」 「変わらずだよ」 そうだろうな、と心の中で頷く。 何せ、彼女が患っているのは心の病だ。 数週間で治ることはほとんどない。 少なくとも彼女の精神世界を見た限り、治るには年単位の時間が必要なのは間違いない。 「そうか」 「今日は何をしに来たの? またあの機械に繋がって眠ればいいの?」 「それをしたいかどうかの話だ。――座ってもいいか?」 少女はこくっと頷いた。 了承とみなしておれは少女の向かいのソファに座った。 「普通、あの検査は一度で十分なんだ」 反応はほとんどないが目はおれを見ていた。 話を聞いていると判断して話を続ける。 「検査そのものが疑わしい場合は再度、検査する場合がある――」 「どんな光景だったの?」 言葉を遮られ、思考も止まる。 どんな光景だったか? 霧のかかった波ひとつない海を思い出す。 「静かな海だ」 「そう」 「健康な人間とやらの場合、もっと物が見える」 「物?」 「海の場合は島や船、クジラといった生き物たちだ」 「いなかったんだ」 「ああ、何も」 「わたし、健康じゃないんだね」 「そう言えるだろう」 間が開いた。 聞きたいことを聞き終えただろうと口を開こうとして、 「まるで私が病気じゃないって言ってるように聞こえる」 「精神の場合は判断が難しい」 体の怪我ならわかりやすいと例にあげるかと考えたが、腕のリストカットのあとに気がついて止めた。 「おれは君の内包する世界を見た。だから、こう言おう。自分の世界を作っていい」 アネモネはおれを見る。 表情は変わらないが視線には好奇心と期待のような気が、した。 「誰にだってそうする権利がある。君にも当然、ある」 「本当に?」 「そうだ。おれはその手伝いをするためにいる」 たっぷり一秒の間を開けて、アネモネは笑った。 「そのためにはもう一度、君の内包する世界を見る必要がある。君のご両親に、君の状態を理解してもらうために」 「ほんと、困ったお父さんとお母さんだね」 表情は笑っているが声は鋭く冷たかった。 いつもの表情と声に戻って、 「いいよ、潜って」 「わかった。日程が決まったら連絡しよう」 「ひとつ聞いてもいい?」 「なんだろう?」 「わたしにも創れるの?」 「人間には自分自身を創る力がある。君は、それの使い方を知らないか、邪魔されているだけだ」 アネモネはゆっくりと首を縦に振った。