[[DAYS]] 宇宙人だとか宇宙生物だとか、そういう存在が地球を破壊しきって、人類が滅亡寸前まで追い込まれる。 そして、生き残りを賭けた戦いに挑み、勝つか負けるかする。 そういう物語は多い。 物語の中のことだが現実でも人類は戦うことになるだろう、そう思っていた。 実際は派手な戦いなど起こらなかった。 ある日、隣人が、友人が、同僚が、家族が"向こう側"についていた。 見た目や行動に何か大きな変化が起こるわけではない。 うめき声をあげながら人肉を喰らうとか、凶暴化するとか、腹の中から何かバケモノが出てくるとか、そういうものはなかった。 わずかに行動が変化する。 相手に対する警戒が薄れ、信用するようになる。 公平に振る舞おうとするようになる。 身体には脳の表面を菌類のようなものが覆うという変化が起きていた。 思考に作用しているとはわかったが、生死には直結しないものだ。 これを無害というべきかは意見が別れた。 寄生虫や細菌によって宿主の行動が変わることはよくある話で、これは好ましい変化だと受け入れる人もいれば、こんなおぞましいものがあるかと激怒する人もいた。 体内に別の生物が棲みつき共生し、やがて体の一部として振る舞うようになるというのはミトコンドリアが示している。 脳にいつどのように同居人がやってくるかはわからない中、感情だけが飛び交っていた。 感染経路は不明だったが、一緒にいるから感染するわけではない。 それが救いだと思う人物もいれば、ある日突然自分が化物に乗っ取られるのだと悲観する人物もいた。 友人同士でも意見がわかれ、Webでも激論が繰り広げられていた。 が、それも最初の1ヶ月だけだった。 半年も経てば話題も落ち着いてしまった。 よくわからないけど、平和になったからいいのだ、という恐るべき適応能力を人類は発揮したらしかった。 そんな人類だったがこの脳に現れる同居人の正体が宇宙人だとわかった時、再び騒がしくなった。 人類は宇宙生物に脳を間借りさせていたのだ、という事実は楽観的に捉えていた人物をも揺さぶった。 しかし、ここでも多くの人達は恐るべき適応能力を発揮し、それを受け入れてしまったのだ。 一部からは効果のあるかどうかわからない精神薬よりずっと効果的だ、という声もあったぐらいだ。 宇宙生物だとわかってから2ヶ月が経った頃だ。 友人が件の宇宙生物を脳に招き入れた、とショートメッセージを寄越してきた。 今まではホットな話題の一つに過ぎなかったのにいきなり身近な問題になってしまった。 それは本当か、と返事をするとそうだ。 そして、確かめてみるか、と。 返事も出さずに俺は彼の家に向かった。 彼の家に辿り着いた。 歩いて10分、大した距離ではないがもっと歩いた気がする。 ドアを開けて化け物が出てきたらどうするか、バールでももってくるべきだったのではないか、とちらっと思ったが頭を振って考えを打ち消す。 そして、呼び鈴を押した。 呼び鈴を押すとすぐに彼が出てきた。 いつもの良く知った顔だ。 顔色もよいし「はやかったな」という声もはっきりとしていた。 「同意しない限りは入ったりはしない、大丈夫だ」 「何がだ」 「これさ」 そういって彼は自分のこめかみをとんとんと叩いた。 部屋に入るとダンボールが目についた。 引っ越しでもするのだろうか? 「使わないものを捨てたり譲ったりするんだ」と彼。 「鋭いな」 「興味ありそうな目をしてた」 「お前、変わったな」 「同居人、万々歳だ」と彼は再び、こめかみのあたりを軽く叩いた。 まるでノックしているようだった。 「食欲落ちたりしてないか?」 「いつも通りさ。ああ、料理に凝るようにはなったな」 「それも同居人の力か」 彼は苦笑して、そうかもしれない、と続けた。 「誰かと一緒だと思うとしゃんとしないといけない、と思うだろう?」 「息苦しくはないか、それ」 「そうでもないよ」 そうだなぁ、と彼は腕を組んで、 「あれだ。神様が見ているからしっかりしようって感じだ」 脳の中の宇宙人は信仰心をも与えるらしい。 「ああ、適当に座ってくれよ。何か飲むか?」 「アイスコーヒー」 「はいよ」 「しかし、本当に招いたのか?」 「うん。医者にも診てもらったよ」 彼は冷蔵庫の扉に磁石で止めてあった封筒から写真を取り出した。 レントゲン写真だ。 「正常な人の写真がこれ。僕のはこれ。影が濃いだろう?」 言われてみればわかる程度には影が濃い。 これが彼の神様か。 「写真を撮ったということは今さっき、ではないのだな」 「2ヶ月ぐらい前だよ」 2ヶ月前といえば宇宙由来の生物だとわかった頃だ。 「あの騒動の中、よく決心がついたな」 「興味本位だよ。宇宙人、来ないかな、と思っていたら頭のなかに声が聞こえたんだ」 「勧誘か?」 「僕が聞いた限りじゃ一番、穏やかな勧誘だったよ」と彼は笑った。 「あなたのぼんやりとした悩みを解決してあげる、そう聞こえたんだ」 「胡散臭いぞ」 「まぁね。あなたが巷で有名な宇宙人ですか、と聞いたらそうよ、と返ってきてさ」 「まさか、本当に興味本位だったのか」 「興味本位だよ。さすがに対価は聞いたけども。こんな世の中だし」 「対価はなんだ?」 「記憶だよ」 「記憶!?」 彼は右手をひらひらさせて、 「まぁ、落ち着いてよ。別に忘れるわけじゃあない。日記を覗き見させるようなものだから」 「誰が保証するんだ」 「まぁ、それもそうだけど、もともと、ブログとかは書いてたし、サービスが増えるだけだから」 ああ、こいつはそういう奴だったな、と俺は深く息を吐いた。 「女の子の声だったから彼女としよう。彼女は脳にかかる過剰な負担を軽減するのと引き換えに記憶を求めてきた、というわけなんだよ」 「よくわからん取引だな」 「彼女はヒトを理解したいそうなんだよ」 「ヒトを理解する、か。まわりくどい手段をとるな。それも胡散臭い」 「相変わらず、疑り深いなぁ、君は」 「お前が脳天気なだけだ。この会話だって筒抜けかもしれないのに」 「敵じゃないんだから、そこまでいわなくても。ほら、コーヒー」 「ありがと。ココアの方が良かったかもな」 「コーヒーだとテンションあがるからね」 「そうだよ。ま、いただくがな」 思ったよりも苦くない。 半分ぐらいまで飲んで一息つく。 「それで今、お前の頭の中には風変わりな少女が住み着いているわけだ」 「まるでラノベだね」と彼は本棚に目をやる。 カバーがかかっていて作品まではわからない。 「ああ、前言撤回だ。こんな調子じゃ、テンションあげないとやってられない」 「それならお酒じゃない?」 「ロシア人じゃあるまいし。……いつも通りそうで何よりだ」 「話が変わったね。まぁ、いつも通りさ。さほど、変わっちゃいないよ」 「さほどか」 「先も言ったけど、神様が見ているからきちんとしようって意識の変化がでてきた。これが直接、脳に作用しているのか、それとも僕が勝手に思っているかは、わからない」 自由意志でそうしていると思い込ませているのでは、と思いついたがふせておく。 「そうだね、少し建設的になったよ」 建設的か、と俺は彼の言葉を呟く。 「もしかすると、大きな一歩かもしれない」と彼は笑った。 「そうそう、件の宇宙人さんの住所を知っている。興味があるなら行ってみるといい」 「超展開だな」 「人生、驚きの連続だからね」 「これは理不尽に近いぞ」 俺の言葉に再び彼は笑った。 左手に紙に書かれた住所、右手にナビアプリを起動したスマートフォンの二刀流のまま、俺は電車に揺られていた。 その間、約1時間。 俺はその宇宙人の正体についてたっぷりと思考をめぐらせていた。 目が黒で肌が灰色の小さいアレから口の中から口が出てくるアレとか、人を喰うことだけ考えるアレとか。 武器も何もないので行ったところで死ぬのがオチだ。 一番都合がいいのは美男美女タイプだが油断していると地球はもう終わりだ、と簡潔に言われる可能性がある。 映画の中だったら俺はMobだ。 開幕、死ぬかもしない、などと考えている間に駅に着いた。 ほかの客に混じって降車する。 そこは別に何の変哲もない住宅街だった。 ナビアプリにしたがって歩くと団地に辿り着いた。 団地と宇宙人の取り合わせがシュールだ。 「目的に到着しました。ナビを終了します」というナビアプリのメッセージがあとは一人でいけ、と突き放しているようだった。 大玄関ホールはロック機能つきで、中に入るには入居者の許可が必要だった。 パネルにあるテンキーで部屋番号を叩き、呼び出しボタンを押す。 スピーカーから返事はない。 視線を感じてそちらに目をやるとカメラと目があった。 ややあってからパネル横の扉が開いた。 入れ、ということか。 エレベーターに乗り目的のフロアに向かう。 落書きや傷はなく、手入れも行き届いている。 住民が大切に使っている証か、それとも大切に使わされている証なのか。 嫌な考えだ、と思っている間に目的のフロアに着いた。 エレベーターホールにある案内板で行き先を確認する。 まっすぐ廊下を歩くだけで目的の部屋に辿り着いてしまった。 扉を開けたらよくわからない化け物にとっ捕まえられてミンチになるかもしれないし、発狂するかもしれないし、とろくでもない考えが浮かぶがそれよりも好奇心が、勝った。 呼び鈴を押すとぴんぽーんと聞き慣れた電子音が鳴った。 インターホンから返事はない。代わりに鍵の開く音が聞こえ、扉が開いた。 これまた中に入れ、ということらしい。 しかし、待て、この扉は普通の開き戸だ。 なんで開いた? 中を覗くと明かりはついており、奥の居間まで見渡せた。 そして、それぞれの家が持つ匂いもした。 生活臭というものだ。 玄関には靴が2足、女の子が好んで履きそうな靴だ。 部屋を間違えたのではないか、と紙のメモに目を通すがこの部屋だ。 メモそのものが間違えている可能性もあるが……。 「お邪魔します」 人の記憶を欲しがる宇宙人は挨拶を返してくれないらしい。 まったく、けしからんやつだ。 靴を脱いで、向きから察するにお客様用であろうスリッパに履き替え、居間に向かう。 何かいる気配はするが猫でも犬でも鳥でも人間でもなさそうだ。 では、なんだろう。 居間に入って右手を見る。 ダイニングキッチンがあったが誰もいない。 左手を見る。 それが"居た" それは板だった。 天井に届きそうなぐらいの高さの白い板。 「モノリスか」 想像が全部外れたが、下手な怪物より質が悪いものが出てきた。 よりにもよって進化の象徴とは何様だ。 よく見ると床から指1本分ぐらい浮いている。 また、奇っ怪な物が出てきた、と表面を眺めていると何か動いているようだった。 3表面が梨地になっているのだと思ったがどうやら違うらしい。 小さい細かな点が動いているのだ。 全体が見えるところまで離れて、瞬きを繰り返す。 何か文字が見えた。 「これが、件の宇宙人の本体?」 誰かの記憶が文章になって表面を高速で流れていくのだ。 本体なのにターミナルとはこれいかに。 「火星人、ゴーホーム」 「嫌よ」 即答だった。 「板が喋るのか。高性能だな」 「板に向かって平然と話しかけるヒト、初めて見たわ」 「スマートフォンが喋るご時世に何を言う」 「そうね」 会話は普通にできるようだ。 「ホールからの沈黙は演出か」 「そうよ。でも、無粋だわ」 宇宙人に無粋だと言われるとは思っていなかった。 これだけ準備してくれていたのだから、驚くなり、ひれ伏すなりすればよかったかもしれない。 その点で確かに俺の反応は無粋だった。 「演出だというならもう少し話しやすい演出をしてくれ」 板と話すのは落ち着かない。 「スマートフォンが喋るご時世なのでしょう?」 「普通に話すなら人の形のほうがいい」 「どんな姿がお望みかしら?」 「普通に話せそうな姿で頼む」 モノリスの輪郭がぼやけ、人の形に変わっていく。 そして、モノリスは少女の姿になった。 陶磁器のように白い肌、窓から差す光に輝く白い髪、ドレスのような白い服……その純白の少女の目は赤色だった。 何もかも見通すような鋭い光が宿っている。 ラノベ展開に俺は戸惑った。 「これでどう?」 「ありがとう。話しやすくて助かる」 「それで今日はどうしてここに?」 「友人が会ってこい、と。お前と取引をした奴だ」 「ああ、彼ね」 と少女は即答する。 「いろいろ、聞きたいことがある」 「そう」 否定でも肯定でもない一言、やりにくい。 「何か、飲む?」 「さっき、コーヒーを飲んだばかりだ。気持ちだけいただこう」 「お酒もあるわよ」 「酒はいい」 彼の記憶を覗いているらしい。 「さっきのやりとりを見たな」 「見たのではなく、教えてもらったのよ」 「教えてもらった?」 「そうね、テレパシーのようなものよ」 「問答無用で記憶を見るわけではないのか」 「相手が許可したものだけ見られるのよ。そうでないと困るでしょう。誰にも見られたくないものの1つ2つ、誰にでもあるでしょう?」 風呂やトイレの中まで見られていたのでは落ち着かない。 銀行の口座番号と暗証番号、利用しているサービスのIDやパスワードも知られると困る。 「ヒトの生活は知っているつもりよ。幾つかのパターンを経験したから」 「パターン? 輪廻でもしたか?」 「まさか。複数の体を用意して、それぞれ別の生き方をさせて観察したのよ」 まだ輪廻のほうが現実味があるぞ。 「それでは足りないのか?」 「足りないわ」 これまた少女は即答する。 「足りないから、多くの人にその、自分の一部を宿して、記憶をもらうことにしたのか」 「ええ、そうよ。わかってもらえて嬉しいわ」 「何がだ」 「寄生ではないということを」 言葉を選んだのがばれた。 「記憶をもらう代わりに異常なストレスを打ち消す、そういう共生関係なのよ」 「ストレスを打ち消す、か」 あいつもそんなことを言っていたがにわかには信じがたい。 「異常なストレスに晒されたら、正常な範囲まで戻してあげるの。脳のペースメーカーよ」 腕組みをして少女を見る。衝動が抑えられるのだとしたら、悪く無い話だ、と思う。 特にネガティブな衝動が止められるのであれば助かる人間も多い。 目の付け所が良い。 「ううむ」 それなら多くのパターンがわかるだろうが、また周りくどいことをしている。 だいたい、脳に送り込んでいる時点で抵抗を覚える。 「いい方法だと思ったけれど、ヒトは選ぶわね」 少女は目を閉じて静かに息を吐いた。 「人を操ったりは、しないのか」 「しないわ。面倒だもの」 「面倒?」 「そんなことをして何が得られるというの?」 「地球征服とか」 「地球人類を征服したところでこの星は手に入らないわ。それに面倒見切れないもの」 「人を操るつもりはないのだな」 「ストレス以外は見てるだけよ」 あくまでも副作用のない抗ストレス薬に徹しているというわけだ。 「聞きたいことはそれだけ?」 「どうして、地球に来た?」 「住処を地球人に奪われたから」 少女の答えに俺は体を固くした。 これはまずい。 「別に復讐とかは考えてないから。こうやって住めているのに荒っぽいことする必要はないもの」 少女の声はあくまでも穏やかだった。 すまないことをした、とここで謝ると地球人類を代表したことになりそうでどう返すべきか悩んでいると、 「気にすることはないわ」 とさらりと言われた。 掴めそうで掴めない。 何度も同じようなやりとりをしているのかもしれない。 「普通に話す以外の方法でも、コミュニケーションができるとわかったのは大きな収穫だわ」 と少女は笑う。 彼女にとって相手の体の一部になったり、テレパシーで会話したり、記憶を受け取ったりするのもコミュニケーションの方法に入るようだった。 「まだ、何か、考えているのか?」 「今は何も。もう少し、ヒトに何かしてあげられたら、とは思うのだけど、ね」 少女の表情が変わった。 「わかった。いきなりお邪魔したのにすまなかった」 「話ができてよかったわ」 少女に見送られて俺は部屋をあとにした。 寂しそうな笑顔が瞼から離れなかった。