「ということで今日明日は休みだ」
誠司はシアーに予定を告げる。
「そうなんだ」
とシアーはにこにこと笑いながら言った。
誠司のポケットが震える。
振動源は携帯電話だ。
取り出して開くとメールの通知画面が表示されていた。
シアーに断りをいれて、誠司はメールを確認する。
件名は「果たし状」で軽く眉をひそめた。
本文には「明日、午後1時より決闘を所望する。場所は――」
場所を見て誠司はさらに眉をひそめる。
緯度と経度、それに深度が書いてあった。
海面下1,000mと光など届かない深海だ。
そんな場所で決闘する物好きがどこにいるというのだ、と誠司はメールを削除する。
「何かあったの?」
「変なメールが来ていた」
「そうなんだ」
「うむ」
「ねぇ」
「どうした?」
「もし、わたしに何かあったら助けてくれる?」
「当たり前だ」
「よかった。そのときは、待ってるから」
「あぁ、必ず助けにいく」
「うん」
シアーは満足そうに笑った。
その日も他愛もない話をして過ごした。
いつもの、平和な日常だった。
*
次の日、誠司はいつもの場所に行けないことに気づいた。
入り口がない。
それは本人がいない証拠だ。
約束はしているのにいないのはおかしい。
何があったのか。
調子が悪くなったのなら連絡が入るはずだ。
連絡ができない理由かもしれない。
たとえば、途中で興味をひくものがあって夢中になっている。
たとえば、携帯電話の電池が切れてしまった。
たとえば、急に具合が悪くなってしまった。
たとえば――
携帯電話が震えた。
画面を見ると見覚えのあるメールアドレスからだった。
昨日みたばかりのメールアドレスだ。
おそるおそる誠司はメールを開く。
『彼女を返して欲しければ、指定した場所に来い』
果たし状と言っておきながらこれか。
誠司は怒りを覚える。
ふざけるな、と拳に力を入れて走り出す。
海面下1,000m、深遠の果てに至る力を彼は知っている。
*
『プランクトンネスト』と馴染みのある看板を見上げる。
彼が勤めている会社の名前だ。
この会社は作業用潜水艇を3艇、輸送船を1隻を持っていた。
ロッカーに入れておいた潜水服を取り出し、手早くそれに着替える。
潜水服とは言っているが生地は薄く丈夫な素材で、酸素ボンベも背中に小さくまとまっている。
SF映画に出てくる宇宙服のようだ、という印象を誠司は持っていた。
作業用潜水艇を見て誠司はその名を呟く。
「りゅうじん」
水を司る神の名を冠した万能潜水艇だ。
これなら指定された場所までたどり着ける。
「遠見君」
呼び止められた。
社長の池上だ。
「同じメールが僕のメールにも来ていたよ」
と彼は続ける。
「それは君の愛機だろうけど、会社の資産でもある。勝手に使われると非常に困る」
一拍をおいて、
「社会人ならわかるだろう?」
「……はい」
誠司は力なくうなずく。
正論だ。
むしろ、この程度の注意で済んでいるのが幸いだ。
「素直でいいね。試運転扱いで行っておいで」
「え」
驚きの声をあげる誠司を促すように続ける。
「それが一番、融通が効く理由だろう?」
「ありがとうございます」
誠司は深く頭を下げる。
「いいかい、必ず帰ってくること。それが約束できないなら船は預けられない」
「はい。必ず、帰ります」
うんうん、と池上は頷いて、
「それから助っ人を依頼した」
「助っ人、ですか?」
「乗ればわかるよ」
ハッチを開き乗り込む。
二人乗りの操縦室は狭いがたいていは一人で乗り込む。
作業時間が長い場合は二人になる。
一人で乗る分にはさほど窮屈ではない。
座りなれたシートに体を固定すると計器類に光が宿った。
いっそう、この球形の壁に外が映し出されればおもしろいだろう、と誠司は同僚の石川に言ったことがある。
彼はしばらく考えてから、真っ青か真っ黒でおもしろくないだろ。ああ、でも、ロボットっぽくていいな、と笑った。
システムの起動中にそんなやりとりをふと思い出す。
「おはようございます、誠司」
無機質な女性の声が操縦室内に響く。
「仕事だ」
「試運転と聞いていますが、人質の奪還ですね」
管制コンピュータのディープ・ブルーは聡かった。
そうだ、とうなずきながら、誠司は三つ並んだディスプレイの左上にシアーからもらった貝殻のペンダントを下げる。
その様子をカメラで見ていたディープ・ブルーは、
「そういう死亡フラグのようなことはやめてください」
「フラグ立てるのは俺の勝手だろう」
「乗船中にあなたが死ぬと言うことは私も沈むということです。巻き添えはごめんです」
「左様でございますか」
「いつも通りです」
「何がだ」
「すべてが」
いつもの仕事と同じだ。
目的を果たして無事に帰ってくる。
それだけのことだ。
システムチェック、クリア。
全系統異常なし。
「どちらが死亡フラグを立ててるんだ」
ツッコミを入れるが応答なし。
そんなもの全部折ってやれ、と誠司はヘルメットを被り、ロックする。
バイザーに気密確認完了、問題なしと青の文字が表示された。
「行くぞ」
「了解しました」
ジェネレータの出力上昇し、インテークから吸い込まれた海水が電磁力で加速して後ろに流れていく。
船体が前に出る。
「しかし、援軍とはなんだ?」
「UADSから通信が来ています」
「UADS? グングニルの無人防衛システムだろう?」
聞き覚えがある。
学校の授業かニュースで聞いたのだろう。
アルファ星系第4惑星「瑠璃星」の大気圏内自動防衛システム。
無数の無人航空機から成り立っていて、ひとつのAIがすべてを制御していると聞いている。
どうして地球にいるのだろうか。
それも聞けばわかる、と誠司は通信に応じる。
『こちらグングニル空軍所属ブラック・ナイト。りゅうじん、聞こえるか?』
「こちらりゅうじん。よく聞こえます」
『了解した。これより敵の情報を送る』
「敵の情報?」
『こちらで掴んでいる情報だ。データリンクを行う』
メインディスプレイにデータリンク要請のメッセージが表示される。
データリンク対象はエーテル・ネット、UADSが持つ戦闘情報通信網だ。
規格があわないのではないか、という誠司の予想を裏切り、りゅうじんはエーテル・ネットに接続した。
普段は母船から受信した情報を表示するサブディスプレイにUADSから伝えられた情報が表示される。
『敵は魚類帝国を名乗っている』
「ふざけた名前だ」
『まったくだ。だが、油断はできない』
男の声は真剣そのものだった。
マイクをオフにして誠司は油断できない、か、と嘆いた。
本当にふざけた連中に喧嘩を売られたものだ。
再び、マイクをオンにして、
「わかりました。気をつけます」
相手が何か言おうとするのがスピーカー越しにもわかったが、誠司は遮るように続ける。
「どうして助けてくれるんですか?」
『それが契約だからだ』
「契約、ですか?」
『りゅうじんはこちらで作られた船だ』
「それは、聞いたことがあります」
社長がそういっていた。
彼が入社してからしばらくして、りゅうじんに変わったのだ。
『君の会社に渡す際に何かあったら、全面的に援助すると条件を付けた』
「社長の要求ですか?」
『私の条件だ』
女の声、とても冷静そうだ。
「誰ですか……そもそも二人は……」
疑問が疑問を呼び誠司は二人の名を知らないことに気づいた。
『すまない、紹介が遅れた』
向こうでは有名だから名乗らなくていいのか、任務中に自己紹介する暇がないのか。
おそらくその両方だろう、と誠司は考える。
『彼女はエリス、UADSそのものだ。俺は田辺 一騎、補佐をやっている。よろしく頼む、遠見 誠司君』
噂には聞いたことがあるが、まさか実物に会えるとは思わなかった。
「社長が言っていた助っ人はあなたたちですね。まさか、UADSが来るとは思ってもいなかった」
『信用してもらえてよかった。敵の狙いは不明だが、果たし合いである以上は道中で攻撃を仕掛けてくる可能性は低いだろう』
「もし、攻撃を仕掛けてきたら?」
『その時は援護する。あんたは全力で先に進め。その船に武装はないが機動性は他の船の追随を許さない』
「全力で助けに行け、ということですね」
『そうだ。戦いは俺たちに任せろ。役割分担だ』
「了解した」
『行ってこい、遠見 誠司。グッドラック。通信終わり』
通信が終わる。
メインディスプレイを見ると実績:ソルジャーが解禁されました、とメッセージが流れていた。
「どういうことだ?」
「全電子戦装備がアクティブになりました」
「電子戦装備?」
「雑踏の中でも人が見つけられるようになった、と考えてください」
「いい加減だな」
解説がこないことを誠司は直感的に理解する。
サブディスプレイの上部にゴールエリアの文字が見えた。
これが指定されたエリアだが、
「敵は未だに何もしてこない、か」
「果たし合いを所望しています。攻撃してくる可能性は」
アラートが鳴った。
「魚雷探知、数2。接近中」
『りゅうじん、聞こえるか? こちらで魚雷は始末する』
戦える人間がそういっているのだ。
信じるしかない。
「了解です。ご武運を」
『ありがとう』
そういって再び通信が終わる。
ソナーには魚雷の影が2つ映っていたが、新しく現れた影に喰われて消える。
ブラック・ナイトが迎撃したのだ。
「いい仕事だ」
「わたしたちもいい仕事をしましょう」
ディープ・ブルーの言葉に誠司は頷いて、速度あげ角度をあげる。
潜水艦は高い水圧に耐えなければいけない。
深くなればなるほど、水圧が高くなり、高い強度が求められる。
強度を求める際、魚雷を発射する仕組みは弱点になるのだ。
だから、深い場所にいけば敵は攻撃できない。
深度計の数字がどんどん大きくなっていく。
静かだ。
深度835m。
日の光が届かない暗闇の世界だ。
ここまでこないだろう、と思った瞬間、再びアラートが鳴った。
「今度は何だ?」
「魚雷です」
「この深度で撃ってくるか? 常識を持ち合わせていないのか、連中は」
悪態をつきながら誠司はディスプレイを睨む。
光点はひとつ。
「迎撃は?」
「武装はありません。ただの潜水艇です」
「だろうな。回避する」
船体を右に傾ける。
魚雷も同じようについてくる。
「追いかけてくる、か」
「当たり前です」
ブラック・ナイトは来そうにない。
「バラストのパージとメインタンクの緊急排水用意」
「了解」
バラストをデコイにして同時にメインタンクを排水、一気に浮上する作戦だ。
光点が徐々に近づいてくる。
時間の流れがひどく遅く感じられる。
さらに光点が近づいてくる。
「バラストパージ!」
火薬が船体とバラストの結合部分を爆破し、バラストが船体から切り離される。
休息に浮き上がるのを感じながら、タンクの緊急排水を始める。
圧搾空気がタンク内の水を海中に追いやった。
軽くなった船体が加速して浮かび上がっていく。
「魚雷がバラストに命中します。衝撃に注意してください」
体をシートに密着させて体が揺れないようにする。
すぐ衝撃が来た。
足下で魚雷が炸裂し、膨大な水を押し上げる。
どん、という鈍く大きな音が聞こえた。
船内が揺れ、照明が赤に切り替わる。
「損傷箇所は?」
「ありません」
「奇跡だな」
誠司は深く息を吐きながら、自分が汗を書いていることに気づいた。
緊張か恐怖かわからないが。
ふざけるな、と思いつつ、タンクに水を取り入れ、浮力を消す。
船が再び沈み始める。
「あなたが起こした奇跡です」
ディープ・ブルーが誰ともなしにいう。
ディスプレイを見ると実績:ファイターが解禁されました、とメッセージが表示されていた。
「今度は何が起こるんだ?」
「超高速巡航モードが使えるようになりました」
りゅうじんの運転モードは通常の巡航、作業場所まで素早く向かう高速巡航、その場に停止しながら作業するための安定の3モードがある。
超高速巡航モードとはなんだろうか。
「スーパーキャビテーション効果とロケットエンジンを使った巡航モードです。おそらく、地球上に存在する潜水艇で最速になれるでしょう」
何でそんなものを搭載しているんだ、この船は、と誠司は内心で呟いた。
スーパーキャビテーションは船体の周囲に水蒸気の膜を作り、水との摩擦を減らし、高速化する技術だ。
ロシアの魚雷か何かに使われていた記憶はあるが、船に採用されたという話は聞いたことがない。
「そんなの出番が」
3度目のアラートが鳴り響いた。
「魚雷4、後方から接近中。出番が来たようです」
噂をすれば影だ。
レバーを操作し、巡航モードを高速巡航から超高速巡航モードに切り替える。
「超高速巡航モードへ移行します。水蒸気発生角展開……展開完了。ロケットエンジンチェック、クリア。ロケットエンジン、イグニッション」
来るのは加速の衝撃だ。
体がシートに押しつけられる。
「ついてこれるならついてこい、鈍亀」
魚雷が引き離されていく。
追いつけないのだ。
サブディスプレイにあるゴールエリアが瞬く間に近づいていく。
「ゴールエリアまで10秒。――敵魚雷群確認、数100」
「このまま、一気に切り抜ける」
この速度だ。
あたるどころかかすりもしないだろう。
「了解しました。5、4、3、2、1――」
表示されていたエリアの内側に突入した瞬間、サブディスプレイの表示が消えた。
エーテル・ネットとのリンクが切れたらしい。
なぜ、消えた、という疑問が口を出るより先にあることが起こった。
船体が落下をはじめたのだ。
なんだ、これは、と誠司は深度を確認する。
0mだった。
誠司は現状を認識した。
ここは空だ。
深海にどうして空があるのだ、という疑問は落下している事実の前には何の意味も持たなかった。
「くそ、どうなってるんだ!」
「高度1,000mを通過しました」
深度計が高度計に切り替わった。
「出発前に死にたくはない、と言っていた奴はどこの誰だ!?」
悪態をつきながら現状を打破するには、と脳を全力運転させる。
探せば方法は見つかる。
探さなければ、方法が目の前にあったとしても見つからない。
ロケットエンジンの燃料はメインと姿勢制御用の2つとも残っている。
重力を振り切る推力は期待できないが減速には使えるはずだ。
船体をおろせる場所は――あった。
まっすぐに走る川だ。
おそらく、人工的に作られたものだろう。
「あの川に降りるぞ」
「できるんですか?」
できるできないではなくてやるのだ。
失敗すればそれで終わりだが、だからどうした、と疑問や恐怖を雑念として消す。
潜航舵を補助翼代わりに使い、船体の姿勢を水平に近づけながら川に進路を向ける。
思ったよりも落下速度がはやい。
着水できたとしても衝撃に船体や自分は耐えられそうになかった。
底面スラスター4基を使って減速を試みるが、ほとんど減速しない。
地上まで300m。
そうだ、と誠司はあることを思いつき、即座に実行した。
*
最初はお祭りムードだった管制室内に緊張が走る。
金髪碧眼の少女は窓の外、空から落下落ちる白い船を見守っていた。
「大丈夫。だって、彼は――」
白い船が低層ビル群の向こうに消える。
一瞬の間をおいて、水柱が高くあがった。
遅れて水の音が聞こえる。
*
メインディスプレイ越しに見えるのは空だ。
船体の後部を水面に向け、ロケットエンジンを最大出力で噴かす。
燃料流計が跳ね上がり、Gが誠司を襲う。
血液が偏り、視界が暗くなる。
ブラックアウトというのだったか、と他人事のように誠司が思っていると、
「実績:主人公が解放されました。ホワイト・ナイトが使用可能になります」
とディープ・ブルーが声で告げる。
田辺 一騎の機体がブラック・ナイトだったが何か関係があるのだろうか。
「機体データ、ロード。マテリアライズ、スタート」
誠司の思考を無視してディープ・ブルーはホワイト・ナイトの機体情報をデータバンクから読み込み、実体化エンジンを使って情報から物質への変換を開始した。
Gが弱くなり血流が元に戻るのがわかる。
視界と思考力が同時に復帰する。
「何が、どうなって、いる?」
妙に操縦席が明るい。
理由は簡単だ。
球形の壁面に外の景色が映し出されているからだった。
ただの壁ではなかったのか、と誠司は首をひねって周囲を確認する。
左右上下に外の景色が見える。
足下には水の青、頭上には空の青、正面には灰色の建物の群れ。
「これは、なんだ」
「りゅうじんのもうひとつの機体形状です。水中戦を想定した人型ロボット」
「なんだ、漫画か、アニメか、ゲームか」
「現実です」
即答されて誠司は黙る。
「操縦は?」
沈むこともなければ、飛び上がることもなく、その場に静止している。
誠司が何をしなくてもそうなっているということは、ディープ・ブルーが操縦しているはずだ。
「操縦は脳波制御が主です。コントローラからの制御も可能です。キーコンフィグを行いますか?」
「これでコントローラがアーケードコントローラだったらおまえ、スクラップな。脳波制御でいい」
「了解です」
手を動かすイメージをすれば連動して機体の手が動くのが見て取れた。
しかし、感覚としては何も感じられない。
パイロットから機体に信号は送れても、機体からパイロットへの信号は送られないようだ。
痛みに耐えられる自信がない、と誠司は思う。
メインディスプレイには現在の機体状況が表示されている。
頭、胴、腕、足の4つに分かれた体のグラフィックには異常なしの文字がそれぞれについている。
そして、
「武器?」
「銛です。電磁投射型の」
「レールガンか。おもしろい」
「しかし、敵が見あたりません」
魚雷で歓迎してくれた割には静かなものだ。
ここでは攻撃できないのか、そもそも敵が内部に侵入するとは考えられてなかったのか。
もしかすると、罠かもしれない、と誠司は構える。
「付近を捜索する」
誠司はディープ・ブルーに告げてジャンプする。
脚部のスラスターが火を噴き上げ、機体が空にあがる。
思い通りに機体が動くのは心地がよい、と誠司は感じた。
「ここは、なんだろうな」
「建物形状及び区画整備の状況から、軍事施設だと推測できます」
ディープ・ブルーの言葉に改めて地表を見下ろす。
背の低い建物と碁盤のようにわけられている。
中央に見えるのは高い建物は管制塔だろうか。
そうだとすると近くに見える広い土地は滑走路だ。
「……シアー!」
管制塔の最上部に見覚えのある顔がいた。
必死に探していたというのにいつもの笑顔でこちらを見ている。
まわりに見たこともない顔が揃っているが、彼女の反応から察するに敵ではないようだ。
状況を整理していると携帯電話が震えた。
防水ポケットから取り出してすぐに応じる。
「もしもし」
「驚いた?」
「驚いた」
いつものやりとりだが状況があまりにも違いすぎる。
誠司は日常と非日常の境界が破れた、と感じた。
壊したのだ、彼女が。
「何がどうなっているんだ?」
「えっと、そこの広場で待ってるから。道を通った方がわかりやすいよ」
「……わかった」
「そのほうがみんなが喜ぶ、と思う」
話がかみ合わないがそういうことなのだ、と誠司は自分を納得させる。
シアーは電話を切ると窓から姿を消した。
ほかの面子も彼女にならって移動をはじめたらしく、窓から人影が消える。
「どういうお出迎えになるんだ?」
「いけばわかります」
「そうだな」
百鬼夜行か何かになりそうだ。
機体は建物の間をすり抜けながら地上すれすれを飛行する。
こういうロボットゲームがあった気がする、と誠司は思い出す。
何というゲームだったか忘れたが、こんな感じだった。
ところどころ日本語で誘導が書いてあり、中には「歓迎」のメッセージもあった。
何の迷うこともなく、広場にたどり着いた。
着地して機体で片膝をつく。
シアーの一歩後ろによくわからない姿の人々が並んでいる。
人間に限りなく近いものから、鱗に覆われた人間、半魚人など様々な種族から成り立つ列だ。
「ディープ・ブルー」
「何でしょうか」
「降りる」
潜水服の気密が保たれていることを確認する。
ハッチの位置が変わり、あけると席の正面が開いた。
外の景色はシアーの後ろを除けば見慣れたものに近い。
はじめてきた場所だと感じないのは地上にある建物と共通する点が多いからだろう。
しかし、高い。
片膝をついた姿勢ではあるがそれでも地上まで10m弱ある。
「右手に電動式のタラップがあります。それを使ってください」
知らないのですか、と言わんばかりにディープ・ブルーが説明する。
返事するのもしゃくなので、無言でタラップを使い地上に降りた。
改めてシアーを見るとやはり、いつもの笑顔だ。
「シアー!」
名を叫び誠司は駆け寄る。
「誠司……よかった」
そういってシアーは誠司に抱きつく。
彼が何が起こったんだ、という問いは大きな拍手に遮られた。
「……何だ?」
「祝って、くれているんだよ」
「……は?」
予想外の返答に誠司は返答に困った。
魚雷撃ち込んでおいて、何が祝いだ、ふざけるな、と思うがすぐにその気持ちは消えた。
先の歓迎のメッセージとシアーの反応を見れば、相手に敵意や悪意がないのは明らかだからだ。
「さっきのは全部、模擬戦用の魚雷だって。爆発してもダメージはないんだよ」
「あー……」
道理でうまくいきすぎているわけだ、と誠司は納得した。
魚雷の至近弾を受けて、無傷でいられるわけがない。
「なるほど。しかし、何でだ?」
「いろいろ、あるみたいだよ」
シアーもそこまでは聞いてないようだが、拍手から果たし合いに勝ったのだと推測した。
しかし、それだけではないのだろう、と察しがついた。
「わけがわからない」
抱きつく彼女の様子から細菌感染のおそれはない、と彼は推測してヘルメットを外す。
潮の匂いが鼻腔をくすぐる。
海の街を連想する。
シアーを抱きしめ返しながら、
「まったく、心配させやがって」
「助けにくれるって信じてた」
「それは嬉しいがな」
頼りにされるのは悪くない。
特に好きな人に、大切な人に。
思考が気持ちに至った。
「そうだな、好きな人に頼られるのは悪くない」
誠司の言葉にシアーは嬉しそうに笑う。
「ストレートに言うと?」
言うべき言葉は決まっているが、主語をどうしようか考える。
ここまできて迷う必要などない。
「那美」
今まで言葉にしたことのない本名で呼ぶ。
「わたしもだよ、誠司」
二人は強く抱きしめあった。
*
それから何が大きく変わったことは何一つなかった。
いつものように二人は会って、他愛もない話をして、笑いあった。
小さな変化はいくつかあった。
ひとつは誠司が本当の名で彼女を呼ぶようになったこと。
もうひとつは彼の会社の取引先に帝国の名を冠する企業が加わったこと。
どれも小さくはあったが確かな変化だった。