#author("2018-06-16T16:23:20+09:00","default:sesuna","sesuna") [[DAYS]] 午後の講義が休講になってしまい、膨大な時間をどう過ごそうか、と食堂で悩んでいると、ポケットの中のスマートフォンが震えた。 メッセージの差出人はカシスだ。 風邪をひいたので看病してほしい、と簡潔な内容だったが僕は眉をひそめた。 彼女が風邪を引くとは考えにくいからだ。 風邪を引いているかどうか確かめるのもありか、と安さだけが売りの定食を平らげると僕は大学を後にした。 しかし、夏風邪かぁ、と電車の窓の外を見る。 あんな姿かたちを自由に変える宇宙生物が地球の風邪を引くのだろうか。 もっと、性質が悪いもので人類もころっとやってしまうような極悪な宇宙風邪なのか。 ま、それはないか、と考え直して電車を降りる。 ホームに出ると蒸気を含んだ空気が身体を包む。 全身から汗が噴き出すを感じながら、彼女の部屋があるマンションに向かう。 途中、コンビニでスポーツドリンクとゼリーを買ったけど、これがはたして役に立つのだろうか。 玄関ホールの機械で部屋番号を入力し、呼び鈴を鳴らす。 やや、間があってから「入って」の声。 いつもより元気がない。 ありがとう、と返事をして中に入る。 エレベータが彼女のいるフロアに向かうにつれて、風邪ではないという疑いが消えていく。 部屋の前につくころには心配になっていて、鍵が開くと扉を勢いよくあけ、部屋に飛び込んでいた。 間取りは覚えている。 靴を脱いで彼女の寝室に向かう。 ノックをすると、 「どうぞ」 と彼女の声。 いつもよりおとなしい声だった。 ドアノブに手をかけ、静かに回して、押す。 視界に飛び込んできたのはベッドでぐったりとしているカシスの姿だ。 こういう時、1DKの部屋はありがたい。 「大丈夫、ではなさそうだね」 「ええ、ごめんなさい」 「呼び出しておいてずいぶんと弱気じゃないか」 椅子をベッドの隣において座る。 彼女はこほこほ、と咳をした。 「何がいいかわからないから、一般的なものを買ってきたよ」 「ありがとう」 その声は普段の彼女からは想像できないほど弱弱しい。 「食事はとれるのかい?」 「少し。喉が痛いから、固形物は辛いわ」 「雑炊よりはおかゆがいいかな」 「ゼリーのほうがいい、かも」 「ちょうど、買ってきたよ」 袋から取り出して、飲みやすいように軽くもむ。 「何をしているの?」 「ゼリーを砕いているんだよ。これをやると宣伝みたいに一気に飲めるんだぜ。まぁ、元気があればだけど」 「そうなの。物知りね」 「へっへっへ、褒められた」 蓋をねじ切って、渡すと彼女はそっと受け取った。 そして、ゆっくりと口をつけて吸った。 「ゼリーまで食べれなかったら、どうしようかと思ったわ」 「その時は何か、別の手を考えるよ。こう見えても病への対処は上手なんだ」 「そう、それは、頼りがいがあるわ」 「だが、高くつくぜ」 「報酬がいるのね」 「ただのものなんかないからなぁ。全快したらデートしてくれよ」 こんなかわいい子とデートできたらいいな、という下心はある。 でも、そこまでは思っていない。 強制したところで面白くないと相場が決まっているし、盛り上げるには技術がいる。 そんな技術はないわけで、 「いいわよ、デート」 高熱の人間特有のふわふわとした調子で彼女は続ける。 「場所は任せるわ」 冗談です、と取り消せる雰囲気ではない、と理解した。 次の瞬間に体は直立姿勢になって、口からは 「全力でエスコートします」 と出ていた。 もう、引き下がれない。 「あなたを見ていたら元気が出てきたわ。今日はきてくれてありがとう」 「まだ、来てそんな時間が経ってない」 「うつすと悪いもの」 それは一理ある。 ベッドサイドのテーブルにスポーツドリンクと買っておいた紙コップを置く。 ここなら手元届きやすく、水分不足に困ることはないだろう。 「ありがとう、気が利くわね」 「一生分のありがとうを聞いた気がするよ。それじゃ、お大事に。何かあったら連絡してくれ」 「ええ、頼りにしているわ」 玄関の扉を静かに閉めると、夏の直射日光が身体を焼く。 この時期の風邪は辛いものだ。 はやく快復するよう祈りつつ、彼女のいるマンションを後にした。 宇宙生物が風邪を引くとはこれまた興味深い話だ、とも思ったが本人の前では言わないでおこう。 帰り道、そんなことを思った。