#author("2025-06-01T23:58:11+09:00","default:sesuna","sesuna") #author("2025-06-01T23:58:48+09:00","default:sesuna","sesuna") [[DAYS]] ――いつの間にか美汐は、凛をもっと理解したいと思うようになっていた。 凜は理論と直感の両方に重きを置いているらしく、彼女がパイロットでなければ乗らない、と言った時も目を根拠にされた。相手が何を見ているのかから人の考えを読みとれるのはわかっている。ただ、それは彼の一部、それも特性を知っただけに過ぎない。 彼女は自分なりの方法で凜を理解することにした。打合せのやり取り、潜るときの様子、観察しているときの動き、潜り終えた後のデブリーフィングなどで、何度も会話した。美汐の質問に凜は正確に返し、はぐらかしや冗談は一切しない。それなのにいまいち掴みどころがない。波を掬い上げようとしているような気分だ。掬った瞬間、それは波でなくなってしまう。 彼は潜水艇の中で破滅的なイベントを起こしたりはしないのは間違いない。パイロットとして彼の見たいものを見せるために正確な理解をしたい意識と、彼はどんな人なのかという興味が湧いてきた。 それは、仕事で話す時間が増えたり、調査中の雑談が増える形で現れ、気が付けば、彼の行きつけの店の前まで来ていた。 待ち合わせにはまだ少し時間がある。 ガラス張りで店内の様子がよく見える。手前にはカウンターがあり奥にはテーブル席がいくつかあるようだ。昼前なのにすでに何組かの客がいて、和やかに雑談をかわしている。ただ、身なりや年齢はばらばらで、何か繋がりがあるようには思えなかった。 「君、肉は嫌いかい?」 ふいに後ろから声が飛んできた。振り返ると、彼の恰好はいつもと同じ、グレーのシャツにブルーのジーンズ、白いスニーカー。ひげはきれいに剃られていて清潔感がある。髪に寝ぐせはないがもう少し梳いてやれば印象もぐっと変わるだろうに――美汐は脱線する思考を振り払って、 「好きですよ」 「それはよかった。ここの店は肉がおいしくてね」 彼は慣れた足取りで店の中に入る。 「やあ、きりんさん。2週間ぶり?」 厨房で肉を焼いていた店主らしき男性が挨拶をしてきた。 「そうか、まだ2週間か」 「ちゃんと食べてってよ。後ろの人は知り合い?」 「そんなところだ」 ぼかした物言いに若干、むっとしたものを覚えるが美汐はこらえた。公共の場で不用意に関係を伝える理由はどこにもない。思考を切り替えるべく、店内を観察すると、内装のあちこちに木材が使われ、白いペンキが塗られていた。灰色のコンクリートのコントラストが気持ちよい。 肉と油の香りはするものの、換気がしっかりしているようだ。調理中の良い香りだけが漂っている。 これなら服に匂いが移る心配もしなくてよさそうだ。 「カウンターでいいかい?」 「ええ、先生にあわせますよ」 「今日は君がゲストなんだが」 「なら、カウンターがいいです」 肉と油の香りはするものの、換気がしっかりしているようだ。調理中の良い香りだけが漂っている。 これなら服に匂いが移る心配もしなくてよさそうだ。 「カウンターでいいかい?」 「ええ、先生にあわせますよ」 「今日は君がゲストなんだが」 「なら、カウンターがいいです」 もともと、美汐はカウンター席が好きだった。調理の過程を観察できるからだ。素材の選び方、切り方、火加減、盛り付けまで目で追うのは習慣だった。 ただ、凜の隣に座るとなると、どちらを注目したものか悩ましい。今回は凜を知るためなのだから、注目すべきは凜だが、あまり見るのもよくない。何より彼は他人の目線の動きに敏感だ。 視線を店主の方に向けると、鉄板で肉を焼いていた。この店ではひき肉ではなく、塊の肉を使っているらしい。 逡巡する美汐とは別に慣れた調子で立てかけてあったメニューを手に取り、美汐の前に広げた。 「目移りしているのかな」 美汐は曖昧に頷いて、メニューの先頭を指さした。 「このトリプルおいしそうですね」 「パティ3枚はかなり食べ応えがある。君、食べきれるのか?」 「ええ、大丈夫だと思いますよ」 奥の席、くだんのバーガーを食べている一団を確かめてから言った。 「では、せっかくだから、同じものにしようかな」 「しばらく時間かかるけど、大丈夫かい?」 店主に聞かれ、 「急ぎの用事はない。いつものおいしいバーガーを楽しみにしているよ」 「そうやって人を転がすんだからおっかない」 笑いながら店主は、ステンレスの台の上に皿を並べて、盛り付けを始めた。 「結構な頻度で来てるんですか?」 「肉が食べたくなったらここ、と決めていて、月1ぐらいかな」 「そうなのですね」 などと言っていると、奥の方から、声が飛んできた。 「きりーん、この前の分析ありがとー」 「正体はわかったかい?」 「レイドボスの製造工場だったー」 「それは、興味深いな。新しい情報が見つかったら教えてくれ」 「もちろーん」 前に見せてもらったオンラインゲームの地図だと、美汐は気が付いた。ゲームは普段しないのでよくわからないが、レイドなのに準備がばれるような動きをするのだろうか、と訝しんだ。最近のゲームは律儀なのかもしれない。 「あだ名は広まっているようですね」 「だいたい、常連になるとあだ名がつけられる」 凜はちらっと、鉄板の上で肉を焼いている店主を見て、 「つけられる前に名乗ったんだ。君も考えておいた方がいい」 「何をですか?」 「あだ名だよ」 常連になるほど通うだろうか、と美汐は考える。店の雰囲気はよい。清潔な店内、穏やかに流れるジャズ、座り心地のよい椅子、どれをとっても満足がいくものだった。しかし、普段の行動範囲から外れるこのお店に来るにはそれなりの理由が必要だ。理由なら右横にいる、と考えて美汐は一瞬、動きを止めた。 「あだ名を思いついたのかな」 「考えすぎたようです」 水の入ったグラスの横に緑色の液体の入ったグラスがある。 「この店謹製の野菜ジュースだ。しかも飲み放題だ」 「店員さんばりの説明しますね」 「一通り説明できると思うよ」 凛はレジで会計をしているアルバイトの青年を見て、 「肉は焼けない。レジ打ちもできない」 店長がバンズに具材を挟みながら、 「やる気があるなら教えるよ。きりんさん、会話上手だしね――お待たせ」 カウンター越しに大きな皿を受け取る。バンズの上のパティはひき肉ではなく、分厚い肉だ。こういう食べ応えのあるバーガーを提供する店がほかにあるのは知っているが、ここは一段上だと美汐は思った。 「サラダはそのまま食べてもいいし、バーガーに挟んでもいい」 「いただきます」 美汐はサラダをゆっくり咀嚼する。レタスは苦味がなく、ソースもまろやかでおいしい。これは豆乳由来だろうか。 バーガーを食べ始めると会話する余裕がなくなってしまった。パティは噛めば噛むほど肉の味が口の中に広がる。いかにこぼさずきれいに食べるかの戦いになっていた。きれいに、と目指している理由に美汐は思い至った。 付け合わせのポテトを数本つまんでから、野菜ジュースを飲んで美汐は一息ついた。横を見ると凜の皿は空になっていた。 「急がなくていい。こういう時は食べるペースをあわせるのがお約束だったか」 「何のお約束ですか?」 「ゼミの子からデートの時はそうするものだと聞いてね」 美汐はフライドポテトにフォークを刺そうとして失敗した。 「近い話は仕事でも聞いてはいます」 取り繕うように美汐は言った。 「今の発言は軽率だった。すまない」 「気にしないでください。ゆっくり食べますから」 今度はフライドポテトにうまくフォークが刺さった。 デートと聞いた瞬間、体温があがったのを感じた。久しぶりに味わうタイプの高揚感だ。 美汐は落ち着かせるためにゆっくりとした動きで、フライドポテトを口に運び、味わうように噛み、嚥下した。 右からコーヒーの入ったマグカップが差し出された。湯気とともに香りがやってくる。 「詫びの気持ちだ」 「ありがとうございます」 コーヒーを一口飲む。口の中の脂が流されていくようで心地よい。 この時間が続けばいい、とそう思っている自分に美汐は気が付いた。否定する理由はない。 「詫びなくてもいいですよ」 美汐の言葉に凜は少し驚き、そして、柔らかな表情になって、 「わかった。一息ついたら、腹ごなしに川沿いでも散歩しようか」 「川があるんですね」 「遊歩道の花も見ごろだろう」 凜の表情が少し赤いことに美汐は気づいた。言わないでおこう。 ここで注目の的になると、あとが大変そうだから。