暖簾をくぐると、厨房とホールから威勢のいい挨拶が飛んできた。アズと店員のやり取りを聞きながら、ライラックはそっと周囲を観察する。先客が入っており、店内は賑わっている。縦長い店内は手前にテーブル席がひとつ、カウンター席、さらに奥に4人掛けや2人掛けのテーブル席がいくつかあった。二人は奥の4人掛けテーブルに通された。席に腰を下ろすと、アズはメニューをライラックが読みやすいように向けて、
「最初の一杯を選ぼう。このスパークリングのシリーズがおすすめだよ」
「その中でさらにおすすめはあるんですの?」
「そこまでは詳しくないから、一般論だけど、これとか」
彼の指さした銘柄は度数は低く、フルーティーな香りがするという。やや甘味が強そうな予感もしたが、初めて飲むのにはちょうど良さそう、とライラックは考えた。
アズは近くにいた店員を呼び止めるとライラックに注文を促した。メニューを指差し、これを、と彼女が言うと同じものを、と彼も続いた。
「勧めたものの味は確認しておきたくてね」
「減点」
「手厳しいね。君と同じ景色が見たいだけだよ」
さらりと言われ、ライラックは心臓が跳ねるのを感じた。運が良いのか悪いのか、アズは食べ物に何を頼むのか集中して、ライラックの様子には気がついていない。
「どうかしたの?」
「なんでもありませんわ」
そういうことにしておこう、と彼は呟いた。賑やかな店内でもその声ははっきりとライラックの耳に届いた。
「何か食べたいのはある?」
「こういうお店ははじめてなんですのよ?」
アズはタイミングよくドリンクを持ってきた店員に串焼きの盛り合わせを頼んだ。
「なら、食べたいものを探そう」
スパークリング日本酒のグラスを掲げて、
「乾杯」
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「本当はもっとはやく開きたかったんだけど、副業が忙しすぎてね」
「風のうわさで知っていますわ」
副業、ようは、異界化の対応だが、アズやアルギズ、カシスがどんな戦いをしているかは稼働データが送信されているのでよくわかっているだろう。
「それでもだよ。遅れてごめん」
「おかげでいいこともあったんですのよ。EWをプレイする時間ができたんですもの」
「へぇ、何にしたんだい?」
「一通り取得しましたわ。いえ、竜遣い以外は」
「あの職は特殊だからね」
「竜が強すぎるから、と」
「EWの魔法は大気中のエーテルを消費するんだけど、竜はエーテルを生成できる。ようは、無限に魔法が使えるんだ」
「戦闘バランスを崩す以外の理由もあるのでしょうね」
「単純にギルドや狩りで出番がないからだと思うよ」
「確かにそれは面白くないですわね」
「動くときは終局面だしね」
ライラックはグラスの中の日本酒を静かに飲み干して、メニューに目を落とした。
「EWの交戦距離は近いんですのね」
「歩兵だと遠くて300mぐらいじゃないかな」
「あの時のアルギズたちの動きは1.5㎞ぐらいから狙撃でしたけれど」
「彼女たちは本職だから。わざわざ戦友たちに声をかけてたんだ」
緑髪の女性は青髪の少年の顔を見て、
「どうやら彼女を誤解していたようですわ」
だいたい、誤解するんだよ、と彼は苦笑いしながら、言葉を続ける。
「最初、その案を聞いたときに反対したんだ。手段は選んでられませんから、と言われたよ」
アズがアルギズに声色を似せていった。ライラックはふふ、と笑った
空のグラスに気づいた店員が注文をとりにきたので二人はそれぞれ注文した。もちろん、チェイサーも。
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会計を済ませて外に出ると、アスファルトの熱気を吸った風が二人を襲う。
「夏の夜には、もう少し風情を覚えてほしいものだよ」
「酔い覚ましに歩くには、暑すぎますわね」
ライラックは、手で首元を仰ぎ、月の浮かぶ空を見上げて、何か考えている表情を浮かべた。終電の時間だろうか、とアズはその内容を想像したが、いくらでも帰る手段があるのだから違うことだ、と結論を出す。
「もう少し飲まないか?」
「さっき、お腹一杯だと言っていたでしょうに」
「話し足りないんだよ」