「潜れるわよ」
と潜れるのか、と問うたら即答された。
「身長差」
今、目の前にいる彼女は自分よりも頭一つ分小さい。
とてもではないが潜れるとは思えない。
「私の種族を忘れてないかしら?」
「そういうもんか」
拍子抜けした。
しかし、どうすればいいのか、と思案していると、
「今すぐ、やってみる?」
といたずらっぽい笑みで彼女はいった。
すぐにできるものなのか……。
「それともやらないの?」
「いや、やる。どんなものか知りたい」
彼女の前に一歩出る。
「……あれ? どうすればいいんだ?」
「目を閉じて、力を抜いて、それから深呼吸」
言われた通りの動作を行う。
「行くわよ。息を、止めて」
止めるっていつまでだろう?
間抜けな疑問は水の中に落ちる音に消し飛ばされた。
全身を液体が包む。
流れに翻弄され、体が上下にまわる。
足や腕は流れに振り回されて、ばたばたと動かすことしかできない。
「もう、いいわよ」
流れが落ち着くと彼女の声が聞こえた。
水の中で息をできるわけが、と口を開いてしまった。
水が口の中に流れ込む。
窒息すると思った。
が、それはしなかった。
息ができる。
「慣れた?」
声のしたほうを、上を見るとカシスが浮いていた。
服の裾が見えない波の動きに合わせて揺れている。
まるでクラゲのようだった。
「これが、私の中、よ」
白いベールのような液体だ。
温度は熱くもないし冷たくもない。
温いとも違う。
身体の境界がわからなくなるような温度。
腕を使ってかき回してもみるが、感覚は水と変わらない。
おれが試している様子を彼女は微笑みながら眺めていた。
「ここはなんていうんだ?」
「内なる海、といったところかしら」
特にこれといった名前があるわけではないようだった。
上を見れば白い光が揺らめいている。
下を見ると底の見えない黒色が広がっていた。
ただ、目を凝らすと黒色の中に星が見えた。
「星空か?」
「ではないけれど」
「含みのある言い方だな」
「全部、言ったら面白くないでしょう?」
「まぁ、うん」
一理ある、と頷く。
妙なタイミングで着衣水泳になってしまった、と思う。
「プールにいく手間が省けた」
「私はプールではないわよ」
「なあ」
「何かしら?」
「ものすごく、眠い」
「そう。なら、眠るといいわ」
「目覚ましも頼む」
「注文が多いヒトね」
さすがに頼みすぎただろうか、とまどろみながら思っていると、
「いいわ。いつもの時間に起こしてあげる。それまで、おやすみなさい」
「おや、す」
おやすみの挨拶もそこそこに俺の意識は眠りの底へと、彼女の底へと沈んでいった。