DAYS

 この潜水艇「りゅうじん」には最大で四人乗れる。パイロット、副パイロット、ゲスト二人だ。ゲストは生物学者が多いが最近では観光客も増えてきた。
 いま、ここにいるのはパイロットの俺と副パイロットのシアーの二人だけだ。普段よりぴりっとしているのは、調査でも観光でもなく、救出だからだ。同系の潜水艇「ユーフォニィ」が海底調査中に消息を絶った。最後の通信から船体が破損している可能性が高いと予想されている……。
 隣のシアーが計器がひしめく右側の壁を向いた。何かあったのか、と俺が聞こうとすると、

「何か、いるよ」

 とシアーははっきりした声で言った。計器の中に、ではなく、この壁の向こう、光の届かない深海に、だ。シアーの直感はあたる。
 左方向に回避しようとするより、"何か"が仕掛けてきた。船が揺れ、海底を観察するための覗き窓からは白い光が溢れてくる。

「警告、強力な現実歪曲場を観測」

 支援コンピューターのディープブルーがアラートを上げる。しかし、船体には何も起きていない。

「誠司、結界が破られそうだよ!」

 その言葉に反射的にスロットルを突くと、電磁推進機が海水を内部構造で加速させ、後方に噴射する。りゅうじんは瞬く間に光る海域を離れていく。気づけば、窓は深海の闇を映している。
 付近にそれらしい影がないことを確認し、俺は深く息を吐いた。シアーは額の汗をタオルで拭きながら、

「危ないところだったね」

彼女のユニークなところの一つは姿を隠す結界をはれることだ。

魔法も防げるとは」
「防げないと見えちゃうでしょう?」
「ああ」

 覗き見を防止するのにそこまでやっていたとは恐れ入る。

「ユーフォニィを沈めたやつか」
「多分」

 俺の問いにシアーは少し疲れた様子で頷く。結界を張るのにだいぶ体力を使ったのだろう。

「結界がなければ、船体が崩壊していた可能性が高いです」
「この船の表面は魔力反応装甲でできていただろう?」
「今まで観測してきたそれらとは違います。現状、対処は難しいです」

 ディープブルーの言葉に俺は思わずうなる。

「どう逃げるか、あるいは戦うかか」
「索敵と防御なら任せて」

 先の活躍から考えれば彼女以外に考えられない。ユーフォニィの通信記録をディスプレイに表示した。いったい、"あれ"は何が狙いだったのか。

「盾は使えるよね」
「可能です。防御ならはタツノコはどうでしょうか」

 タツノコはりゅうじんに搭載されている無人水中機で、普段は撮影や試料採取に使っている。

「それなら結界も小さくできるし、いろいろ応用ができそう」

 シアーの言葉が途切れた。
 彼女を見ると、何か言いたそうに唇をわずかに動かし、視線に気づいて、大丈夫だよ、と微笑んだ。俺は彼女の額を軽く小突き、

「それは無理している大丈夫だ」
「少しは頑張るよ、私だって」
「わかった、頼りにしている」

 諸般の事情で増えている使用可能武器リストを眺めながら、

「向こうが仕掛けてきたら、適当にやり返して時間を稼ぐ。ようは、鬼ごっこだ」
「鬼ごっこかぁ。向こうは相手してくれるかな」
「おそらくな。奴の狙いはAIユニットだ」

 俺の言葉をディープブルーが補足する

「信号途絶の直前に送信されたデータによると、ユーフォニィはバイタルコアとAIコアをのぞいたユニットが崩壊しています」
「それだとどっちも狙ってない?」

 シアーの言葉にディープブルーは、

AIコアだけ急速に移動しました。持ち去られた可能性が高いです」
「そんな、助けなきゃ」

 シアーの言葉にディープブルーは一拍の間をおいて、

「ありがとうございます。しかし、今はユーフォニィの乗組員が優先です」
「優先順位があるだけだ。全員助けよう」

 俺の言葉にディープブルーは短く、「はい」と返事をした。

「しかし、AIを狙い、魔法を使う海洋生物か」

 進路をユーフォニィが沈んだポイントに向けながら俺は考える。人の思考を有し、人ではありえない魔法を行使する存在か。シアーをちらっと見ると、

「イカじゃないかな」
「イカ」
「タコは私と被るから」

 シアーはにっと笑う。

「さよか、タコ娘」

 今でこそシアーは下半身を人の形にしているが、オフの時は本来の姿、タコ足の姿で風呂につかっていたりする。いつものやり取りをして、いつも調子が戻ってきたのを感じる。しかし、イカは形としてあたっているかもしれない。人とイカが融合した存在はどんなものだろうか。海中の移動速度、高解像度の目、触腕が組み合わさるとすれば、遠距離も近距離も不利そうだ。

りゅうじんを中心にタツノコを展開する。少しでも観測網を広げたい」
「手前の分だけ結界をはるよ」
「任せた」

 ふと、会話が途切れ、

「たぶん、寂しいんだよ」

 シアーがぽつりとつぶやいた。

「相手がか?」
「うん、話し相手が欲しいんだ、きっと」

 下手したら命を奪われたかもしれない相手のことを考えられるとは、と俺はシアーの心の広さ、あるいは度胸に感心した。

「強いな」
「なんとなく、想像はつくから」

 浜辺で一人座り、波を眺めていた少女の姿を思い出す。ああ、あの時は寂しかったのか、と俺は初めて理解した。今日は考えることもやることも多そうだ、と深く息を吐いた。