朝日が降り注ぐキャンパス内を凛と美汐は進む。目的地は彼の研究室だ。
「この時間は少々賑やかかもしれない」
「嫌いではないですよ」
さらりと美汐は答えて、話題を変える。
「この前はありがとうございました」
「気に入ってくれたかい?」
「あのお店も散歩道も気に入りました」
「他にも気に入ったものがあったかな?」
美汐は凛を僅かに見て、微笑みを浮かべる。
「未知のものを見つけました。とても興味深いです」
「ほう」
凛は詳しく聞こうと思ったが、その前に研究室にたどり着いてしまった。ネームプレートをカード読み取り機に重ねる。
電子音と共に扉が開くと室内の喧騒が溢れてきた。大丈夫かい、と目で問う凛に美汐は頷く。二人は研究室に入る。
学生二人が喋りながら道具を揃えていた。鋭そうな刃物やピンセット、ステンレス製の器を作業台の上に並べていく。
「トンビってあんなでっかいのか」
「こっちのがスペシャルだ。数が少ないからか、気流の影響で大型化してるらしい」
「まだ猫の方がマシだ。先輩たち上手くやってるかな」
「そりゃ、ベテランだからな」
「きりん、おつ」
一人が凛に気づいたらしく、ラフな挨拶をした。凛は気にする様子もなく、
「おつ。到着待ちかい?」
「そろそろ着くらしい。鍋にしたいって」
「前に味噌汁作って腹壊したのをもう忘れたのか」
「今回は寄生虫対策をしっかりするから」
「人体実験も程々にな」
凛は強く咎めるわけでもなく、二人の横を通り過ぎて、窓際のデスクに向かう。左の机には端末が置いてあり、右側が本棚になって隠れているが、簡易的な応接スペースになっているのを美汐は知っている。
「すみません、最終確認が遅れてしまって」
「トラブルは付き物だ」
二人はそれぞれの椅子に座って、端末を開いた。コースの確定はもっと早めにやる予定だったが、いくつかトラブルが重なり、とどめに機材トラブルが発生し、美汐は対応に追われていたという。結局、調査当日までずれこんでしまった。凛はリスケの提案もしたが、美汐が譲らず、強行日程となった。
「コースの候補は3つ。今回はもっと沖に出て潜ろうと思っている」
「あの船の性能なら問題はありません」
普段は移動と潜航も含めて日帰りだが、今回は泊まりのコースを入れることにした。潜らない場所であることが建前だが、遠出ならオートパイロットで休む時間を作るのが凛の狙いだった。
「悪くないコースですね」
検討していた美汐の言葉が止まる。聞こえてきたのは学生たちの会話だ。
「これ前はいたか?」
「前々回はいたぜ。その時は一匹だ」
「今回は育っているのが五匹か」
「こいつは大陸棚の近くにいるが……」
「海流が変わったせいじゃない?」
「こいつが打ち上がるような海流の変化は」
なるほど、と凛は必要そうな手元の端末で情報を検索する。美汐はすでに自社のデータベースにアクセスしているようだった。
「ポイントWSの上昇海流が強まってます」
端末から顔を上げずに美汐は告げる。
「こちらの情報だと規模は観測史上最大となっている」
「潮流の速さも規模も最大のようですね。これなら周辺まで巻き込まれるでしょう」
ありがとう、と小さくいって、凛は立ち上がり、学生たちを向いて、端末の画面を見せる。
「ポイントWSから上昇してきた海流は表層海流と合流して我らの観測ポイントに迷い込むわけだ」
「こっち今調べたところだぞ」
いつもなら学生たちが調べて、凛とディスカッションする流れだが、先に答えを出したことへの軽い文句だ。彼は両手をなだめるようにゆっくり上げ下げして、
「見つけたのは客人だ。感謝だけにしてくれ」
必要なデータは研究室の研究フォルダにアップロードして、リンクを学生たちに共有する。
「サンキュー、きりん」
「つまり――こいつは新鮮なんじゃないか」
「鍋か」
「寄生虫が怖い。さっさと片付けよう」
目的を見失いつつある学生たちにため息をついてから、凛は椅子に座り直す。美汐の視線に気がついて、凛は美汐を見る。
「そういう顔をするんですね、先生」
「現役の先生に向かって随分な物言いだな」
「普段は見られない表情なので嬉しいです」
「それはお互いだろう」
自分から言葉に凛は驚いた。そんなことを言うつもりはなかったのだが、美汐の顔はまんざらでもなさそうだった。
「WSと対になる最大の沈降ポイントはBHです」
「それに変動が大きなポイントだ」
「コース3をベースに調整しましょうか」
「近いがその付近の海域は荒れやすいぞ」
テラフォーミングされた星の海に海流はない。以前、彼らが見た塩分濃度を調整する光るプランクトンをはじめとして、海流を作る方法が無数にある。
その一つがブルーホールと呼ばれる深層循環促進装置だ。直径二百mの巨大なリングが周囲の海水を吸い込み、内部で冷却と塩分濃度を上げて深層に送り込む。
状況に応じて流量を最適化する機能を持つ。その際は無線で通知されるが、どう最適化され、周囲にどんな影響を及ぼすのかは潜るまでわからない。
「どうにでもできますよ」
不敵ともとれる楽しそうな笑顔で美汐はキーを叩いて、計算を実行し、結果を見ては微調整を繰り返していた。
計算より先に自身の感覚で答えを出していて、感覚を裏付けるための計算なのだろう、と凛は思う。
「できました。浮上時に沈降する海流に逆らうため、時間がかかる可能性が高いです」
「安全に浮上できるなら、それで十分さ」
「そうですね」
どこか甘さを含んだ言葉に凛は今日の潜航はいつも違うものになりそうだと思った。
「では、この案でいこう」
「出航まで時間があります。ここにいてもいいですか?」
「こんなうるさいところでもよければ」
凛が言い終わるよりも早く学生が顔を覗かせて、
「二人は付き合ってるんですか?」
笑顔でそう言われ、二人は顔を見合わせてから、それぞれの言葉でこう返した。
「まだだ」
「まだですよ」
「ぎゃー」
学生が悲鳴をあげて去っていくのを見て二人は再び、顔を見て笑う。