DAYS

『それでも彼は感情で動き』

学校で嫌な事があった。
少年は泣きながら走り続けた。
何もかもが嫌で、とにかく遠くに行きたかった。
気がつくと、見慣れた町をから外れた場所に立っていた。
知っている景色ではないし、知っている者は誰もいなかった。
あるのは走った熱を帯びた身体と、冷え切った精神の少年だけ。
どうでもいいや、そんなこと。
言葉にするのはすべてへの無関心。
だから、木の板の上に腰を下ろすのと同時に空が小さくなっても少年にはどうでも良かった。

ハガラズにとって農作業というのは日常の一部になっていた。
直射日光に晒されながら、中腰の作業を延々と続けても機械の身体は疲れを訴えることはない。
地味な作業が多いがこれはこれでやりがいというものがある、とハガラズは思う。
短気な自分でもよくまぁ、続けられれるものだ。
理由はわからないが続けられる事は事実であり、変わらなかった。
ハガラズ! 大変だっ!!」
「あ?」
作業をとめて、顔をあげれば隣の畑の持ち主である岡田青年が血相を替えて、口をぱくぱくとさせている。
「どうしたよ」
ハガラズの言葉に呼吸を整えてから叫んだ。
「子どもが井戸に落ちた! 森の向こうの古井戸!!」
「わかった。他の連中にも伝えろ。先に行く」
手に持っていた鍬を捨てて、作ったばかりの畝を踏み潰して駆け出した。
井戸の場所は知っている。
畑の近くに新しく井戸が出来たために使われなくなった井戸だ。
縄やはしごを用意し、上から助けようなどという考えはハガラズに無かった。
すぐに井戸にはついた。
井戸のまわりには砕けた古い木の板の破片が散らばっている。
井戸の縁に手をついて、中を覗き込めば、5mほどの底に本来は無いはずの波紋が立っている。
「大丈夫か!?」
暗視モードオン、井戸の底の様子が見えるようになった。
小学校4年ぐらいの子どもが井戸の水に浸かっている。
表情は泣いたものでも、怯えたものでもなく、酷く疲れたものだ。
かなり、体力を消耗しているのだろう。
「すぐに助けてやるから、頑張れよ!」
ハガラズの叫びに少年は首を横に振った。
「聞こえないのか!?」
再び、少年は首を横に振って、何か言った。
反響して聴き取りにくいが、助けは不要だと言った。
何か冷えていくのがハガラズにはわかる。
「死ぬ気か?」
問うた言葉も冷たかった。
少年は首を縦に振って、寂しそうに笑った。
次の瞬間、ハガラズは縁を越えて、井戸の中に飛び込んだ。
手と足を交互に動かして底に近づく。
上を見れば岡田青年の呼んだ応援の顔がいくつか見える。
下を見れば少年の疲れた顔が見える。
同じ高さに来ても、少年の顔は疲れたままだ。
水がハガラズの作業着を濡らす。
冷たい水だ。
「おい」
少年はうつむいて黙ったままだ。
「そんなに死にたいのか」
やはり、少年は黙ったまま答えない。
「なら、好きにしろ」
吐き捨てるようにハガラズは言った。
少年の身体が一瞬だけ動く。
驚きか恐怖から来る動き。
「……助けに来たんじゃないの?」
「死にたい奴を助けるなんざ無理だろ」
少年は黙る。
「あのな」
背を曲げて少年の顔に己の顔を近づけ、
「死にたいなら黙って死ね」
「ごめんなさい」
「謝るならテメェの親に謝れよ」
少年の顔は疲れたものから、泣き出しそうな顔になっていた。
構わず、ハガラズは続ける。
「何があったかはしらねぇがな。死ぬ時は後腐れないように死ぬもんだ」
「……よくわからない」
ぽつりと呟いて少年はうつむいた。
「じゃぁ、わかるようになるまで生きとけ」
「もう生きたくないよ。良い事なんてないし」
「随分と前向きじゃねぇか。死ねば終わりか?」
ハガラズの言葉に少年は顔をあげて、大粒の涙を零しながら、
「何だよ! 何も知らないくせに! 何も出来ないくせに!」
「知るかよ! 何も話さないで知ってくれだぁ? 寝言は寝て言えよ、このガキ!!」
井戸の中が静かになる。
"ハガラズ、ほどほどにしておけよ"
入ってくるのは仲間のアンドロイドからの無線。
"死にたい奴助けたってどうにもなんねぇよ"
"引き上げる準備はできてる"
"あいよ"
"あー、担任の先生とかが事情説明してるんだけどさ"
"このガキから直接聞かねぇと気がすまねぇ"
無線を一時封鎖して、押し黙った少年を見る。
「学校でね……」
とても小さな声で少年は話し始めた。
「友達と喧嘩したの……」
「喧嘩?」
「うん。グループで絵を描いていて……」
少年が言うにはグループを作って、共同して絵を描いている最中に隣で作業していた子どもが、筆を洗うのに使う水の入った容器を倒して、床に広げてあった模造紙を汚してしまった。
その隣の子どもは咄嗟に少年が容器を倒した、と濡れ衣を着せたのだという。
倒した瞬間は担任を含めて誰も見ておらず、同じ班で作業していた子どもと、担任が彼を責めた。
彼は隣にた張本人と殴り合いの喧嘩を始めるのだが、すぐに担任が間に入って止めさせた。
彼に説教を始めようとしたところで、彼は教室から飛び出して、外を走り続けた。
疲れて腰を下ろしたら、ここに落ちた、と。
話を聞き終えるとハガラズは重いため息を吐いて、
「お前、それで死にたいのか」
「……う」
「悔しくは無いのか」
「悔しい」
はっきりと少年は告げた。
「じゃぁ、それをすっきりさせてから死ぬべきじゃねぇのか」
ハガラズの言葉に少年は、力なく笑みを浮かべて、
「馬鹿げてるって言うんだっけ」
「くだらねぇことで死ぬんだからな」
「なんか。うん。変だね」
「あれだろ、難しい本の読みすぎだ」
「そう、かも」
「どうするよ、少年」
数秒の間を空けて、少年はハガラズの顔を真っ直ぐと見て、はっきりといった。
「ここから出たい」
「あいよ」
「それでね。きっちりさせてから、仲直りするんだ」
「良い返事だ」
二人は顔を見合わせて笑った。