DAYS

Kickstart My Heart

アルギズが通路を歩いていると後ろから声をかけられた。
「ムーンリットさん、何でしょうか」
「ちょっとしたイベントの知らせ」
ムーンリットと呼ばれた少年は軽く笑いながらプリントを手渡した。
絵が入っているあたり、書類の類ではなさそうだ。
渡されたプリントに視線を落としながら栗色の髪の少女は言った。
「肝試し、ですか」
少女の正面に立つ青髪の少年は言う。
「まぁ、見ての通りだね」
「春に肝試しをやるのは季節外れだと思います」
少女の言葉に頷いて少年は、
「夜桜の元、妙な恐怖感に駆られるのは、きっと貴重な経験になるよ」
「ムーンリットさんも経験したんですか?」
「んー……」
一瞬の間をあけて、
「そうだね」
「何かあったんですね」
「か、勝手に決めるなよ。別に僕は……」
言葉に詰まっている彼の首がいきなり誰かに掴まれた。
「あの時は随分と怖がっていたじゃないか。強がるなよ」
「八城、そういうのはバラさないでくれ」
「テメェからばらしてどうする。ああ、そうだ。所長の粋な計らいで、お前が彼女と同行な」
「ええっ」
驚く少年の横で少女は理由を察して、
「今期は新入が私しかいないんですよね」
「そういうことだ。そんじゃな」
それだけ言うと八城は通路の向こうへ去って行った。
「ああいうの苦手なんだよね」
「八城さんがですか?」
「違うよ、こういうイベント。どうも、騙されるのをわかっていながら騙されるのがね」
そこでムーンリットは深い溜息をついた。
そして、顔を上げ、アルギズを見ると小さく互いに頑張ろう、と言った。
プリントには集合日時と集合場所だけが書いてあり、開催場所については一切触れられていなかった。
行ってからのお楽しみ、とそういうことらしい。

隠されれば気になるのは人の性、アルギズアルギズなりに桜の見えるポイントを洗い出していた。
桜が見えるなら何時でも賑わうだろうから、いくらなんでも占有は出来ないはずだ。
いくらか花見の出来る場所を考えたものの正解らしい物は出てこなかった。
そのまま、アルギズは当日を迎えることになった。
目隠しをして開催場所まで運ばれたので、本当に直前まで場所はわからなかった。

上空には満月があり、その光に灰色の建物と淡い色の桜が浮かびあがる。
アルギズは言葉を失い、しばらくその光景を見とれていた。
「ここだったんですね……」
桜があり、自由に使える場所という条件を満たす場所、それがこの廃棄された病院だった。
「これがルールと終了条件の書いてある紙だ。それとおまけの懐中電灯だ。二人で頑張れよ」
紙と懐中電灯を受け取ってアルギズは、
「八城さんはこれからどうするんですか?」
「俺はゴール地点で待つだけだ。後でな」
そういうと八城は止めてあったワゴン車に乗り込み、ゴールのある廃墟の反対側へと向かって行った。
「とりあえず、指示されたように進みましょうか」
「そうだね」
足元を何処か頼りない懐中電灯の明かりが照らしている。
その光を頼りに二人は無人の病院に足を踏み入れた。
埃と湿っぽさを含んだ空気が体を包み、二人は足を止めてあたりを見回した。
正面には長椅子がいくつも並んだ奥にカウンターが見える。
ブロック状に加工されたガラス越しに朧に月の形がわかる程度だ。
「中までは月明かりも届きませんか」
「これはこれで、恐怖の煽られる状態だね」
薄暗くなった懐中電灯を軽く振ってアルギズは言った。
「懐中電灯も電池切れ寸前のようですし」
「小物の演出にこだわってるなぁ」
「やっぱり、仮装して潜んでいるんですよね」
「いや、そこにあるもので作ったトラップがあるだけのはずだよ」
「1体熱源があるのですが……」
あたりを見回して言ったその言葉にアズリエルは眉をひそめた。
「おかしいな……」
「でも、実際に熱源が1確認できますよ」
「センサーにガタ来てるんじゃないのか?」
「そんな一世紀も経ってないのにガタなんて来ませんよ」
怒るわけでもなくアルギズは言った。
「それにこれでも――」
小さくあっ、と声をあげて、
「……消えました」
「開発課の連中は試験ユニットの製作で身動き取れないはずだ」
「何かいるとしたら面白いです」
「まぁ、それもそうか」
二人は足を廃墟の奥へと進めた。
後ろから見れば、それは二人が闇に吸い込まれていくように見えただろう。

「放置されているはずなのに綺麗ですね」
「そうだね」
よくある廃墟のようにガラスが割られていたり、ゴミが捨てられていたりといったことはなかった。
時間の経過を示すのは床や長椅子などに溜まった埃だけだ。
歩く度に埃が舞い上がり、アズリエルは口元を袖で抑えて歩く。
対照的にアルギズは埃に構わず歩いていた。
そのアルギズが突然、足を止めた。
「どうしたんだい?」
問うアズリエルを見ず、アルギズは正面を見て言った。
「……誰ですか?」
長い廊下の向こう、人の顔と同じぐらいの高さに小さな光が二つ浮かんでいる。
彼女はその光の主に問うていると気づくのにアズリエルは数秒かかった。
廊下の一番奥は光が届かないので姿ははっきりと見えない。
「知り合い、ではなさそうですね」
「だとしたら、まずい気がするんだけど」
彼の懸念に答えるように奥のほうから、小型のエンジンの駆動音が聞こえた。
そして、そのエンジン音と足の踏み出す音が廊下に響いた。
暗闇を抜け窓からさす月明かりにそれは照らし出された。
大柄の男だろうか。
ホラー映画やその類に出てきそうなそれは手に大型のチェーンソーを持っていた。
「服は黒ずくめで仮面装備とは悪趣味ですね」
「随分と冷静に評価するんだね」
「ムーンリットさんも冷静だと思いますよ」
「で、こういう場合はどうするんだい?」
仮面の男が加速する。
白の仮面とチェーンソーが月明かりを浴びて青白く染まる。
「逃げましょう」
「同じことを考えていたよっ」
共通の答えにたどり着いたところで、二人は来た廊下を駆け戻る。
そのまま行けば先のホールから外に出られる。
そう考えて走っていたが、
「シャッターが降りてる……」
シャッターが降ろされ、とてもではないが動かせそうに無かった。
仮に動かせたとしてもそうしている間に追いつかれてしまう。
「こっちですっ」
アズリエルの身体が引っ張られた直後、チェーンソーが宙を切り裂いた。
廊下を全力で駆けながら、アルギズは敵の正体を考える。
熱配分から察するに人間ではなく、機械でしょう。
機械だとすると警備用のロボットでしょうか。
だとしたら、警告なしに攻撃してくることは無いですし。
手ごろなゴミ箱(缶用)を適当に引き倒し、背後から聞こえる不協和音を聞きながら、
「大方、モードの切り替えが逝かれて、侵入者排除モードのままなんだろう」
「だとしたら、直すか無理やり止めるしかないですね」
「そうだね」
再び、ゴミ箱をアルギズが引き倒す。
今度はゴミを蹴散らす音に大きな鈍い音が混じる。
すかさず、アズリエルは壁に備え付けてあるパネルを開き、レバーを力いっぱい引き下ろした。
直後、防火シャッターが鈍い音を立てて降り始める。
「とりあえずは足止め成功、か」
壁によりかかりながら、アズリエルは言った。
「そうですね。ただ、足止めなのが残念です。それに」
言葉をさえぎるように激突音がひとつ。
「それに距離を取った方が良さそうです」
「同感」

階段を一気に駆け上がり、二人は3Fの病室で息を潜めていた。
月は廊下と向かいの病室の向こう、ライトは電池切れ、と闇に紛れるような状態だ。
世界アンドロイド機構にリミッター解除の申請を行い許可が出た。
上手くいけば、応援が来るかも知れないが、それまでは自分たちで対応しなければなるまい。
「状況を整理しましょう」
「そうだね」
小声で切り出したアルギズアズリエルが小声で返す。
「まず、無事なのは私たち二人であること」
「それは確実だね。そして、携帯電話が圏外で外部との連絡手段が無いこと」
「外にいたときは大丈夫だったと思うのですが……」
そこで彼女は区切りをつけて、
「次は相手の確認をしましょう。今のところ、相手の数は1です」
「こんな広いところの警備を1体で出来るのか疑問だ。他にもいるんじゃないか?」
「正常に稼働しているなら、今頃、コントロールに不審者侵入の報告が届き、ほかの子機が起動していることでしょう」
「だとしたら非常に厄介だ。止めるとするならコントロールだろうけど、現実的ではないね」
「仮にもここの備品ですし、逃げましょう」
「実に賢明な判断だ」
闇の中、アズリエルが天井を見上げながら呟いたのがアルギズにはわかった。
釣られて天井を見ながら、
「ここから逃げるとしたら、緊急脱出用の梯子を使うのが無難でしょうか」
「それも備品だよ」
的確な指摘にアルギズは言い返せなかった。
ここまで来るのにゴミ箱をひっくり返したり、防火シャッターを降ろしたりと散々やってきた。
特に防火シャッターは作動すると消防署に通報するシステムだと聞いたことがある。
いくら、命の危険があったとはいえ、自分のやっていることは矛盾が多い。
そのことに気が付きアルギズは溜息をついた。
「妙なことに巻き込んでごめん」
アズリエルの突然の言葉にアルギズは驚き、両手を左右に振りながら、
「そんなこと、ないですよ。私こそすみません」
「なんで君が謝るんだよ」
「私――」
ドアの向こうにあれの気配を感じて二人は息を潜めた。
面を被った頭のシルエットがドアにはめ込まれたすりガラスの向こうに見える。
ドアノブがゆっくりとまわり、かちゃりと響く。
扉が開いた。
ベットとベットの間にいた二人は身動きが取れない。
見つからないことを願うことしかできなかった。
足音がすぐ近くで止まった。
二人の目の前でそれは部屋を悠然と見渡して、侵入者を探している。
最初は左、次に前とゆっくりとした動作だ。
そして、右にいる侵入者二人を見つけた。
アルギズにはそれがチェーンソーを駆動させた瞬間、目を細めて笑ったように見えた。
この距離だと直撃を受ける、と彼女はとっさに判断し、アズリエルを右のベットへ突き飛ばした。
チェーンソーがアルギズに向かって振り下ろされた。

アズリエルアルギズにチェーンソーの刃が、襲い掛かる光景を見るしか出来なかった。
ひどく時間の経過が遅くなり、すべてがスローモーションのように見える。
自分の身体がベットの上に落ちていくのがわかるし、彼女が自分の左腕をチェーンソーにぶつけようとするのもわかった。
その時に彼女が顔に驚きの色を浮かべたのもわかった。
白く細い左腕と金属の無数の刃が激突した。

左腕の稼働状況を示すアイコンが通常の色の白から損傷を受けた色である赤に変わる。
一撃で人工筋肉を切断され、その刃はフレームにまで達していた。
フレームと刃が火花と不快な音を撒き散らす。
「くっ」
破損箇所から赤いものが溢れ止まらない。
さらにそれは力を強め、左腕のフレームを切断しようとする。
が、アンドロイドの部位で最も硬いフレームの切断は容易ではない。
彼女は痛みを堪え、顔に出さず、
「逃げてください」
言われると同時に彼は脱兎のように病室の外へ出た。
後はこれを止めるだけですね。
そうするのなら全系統のリミッターを解除し、一気に反撃に出れば良い。
極めて簡単な理屈であり、一時期は当たり前のように行っていた。
それも日常的に、だ。
リミッターの解除をイメージしても、解除されない。
モードの切り替えを示すアイコンの代わりに異常を示すアイコンが点灯した。
『ジェネレータ出力不足』

廊下を走りながらアズリエルは何か武器になりそうなものを探していた。
その彼の頬には赤いものがついている。
彼女の"血"だ。
アンドロイドの身体を流れる液体に対し、赤いから血と考えるのはおかしいかもしれない。
ただ、彼が頬についたものを血だと思ったのは事実だ。
逃げろ、と言われて自分だけ逃げれるほど、彼がよく出来ていないのも事実だ。
彼は廊下の隅においてある消火器を抱えると病室に向けて走り出す。
彼女が戦っている場所へ。

狭い病室でアルギズとそれは対峙していた。
それは無傷の状態でチェーンソーを構えている。
対するアルギズは左腕の"止血"すら出来ず、攻撃を避け続けていた。
ジェネレータの出力は満足に上がらず、反撃は出来ない。
その中で、彼女は自分の中にある何かの正体を探る。
『所詮は機械だろ。そんなのに感情移入するなんてどうかしてる』
昔に言われた言葉が蘇り、彼女は何かの正体を把握した。
ここで持てる力を使ったら、アズリエルや皆に嫌われるかもしれない。
不安だ。
「私、そんなことで――」
呟いた彼女の耳に音が届いた。
誰かの駆ける音だ。
開いたままの扉を抜けて、
「いっけえぇっ!!」
アズリエルが全身の力と疑似魔法によって加速した消火器はそれの頭部に命中。
衝撃で消火器の外装が壊れ、白い粉が噴出し、視界を一瞬でなくしてしまった。
彼は躊躇うことなく、彼女の細い腕を掴んで、
「逃げるよ」
返答を待たずにアズリエルは走り出した。

「何とか、最初に戻せたね」
アルギズの一歩前を走りながらアズリエルは言った。
二人の後ろ5mをあれがチェーンソーを構えて走っている。
それを確認すると溜息混じりに
「やっぱり、消火器程度じゃビクともしないか」
「私が止めます」
アルギズの言葉にアズリエルは叫んだ。
「止めるってその身体じゃ無理だろう!?」
足を止め、後ろを振り返り、追ってくるそれを正面に捉え、短く答えた。
「大丈夫です」
それは彼女の目の前2mで見えない壁に激突、手にしていたチェーンソーが四散する。
ジェネレータの出力は既に戦闘可能出力にまで達していた。
すぐに自己修復機能が働き、左腕の傷が瞬時に塞がる。
良い調子だ、と彼女は思った。
「さっきはダメでしたけど、今は大丈夫です」
透明な壁の向こう、それは体当たりを繰り返し突破を試み続けていた。
が、壁は壊れることなく、それの行く手を阻み続ける。
「ここから先は通しませんよ」
続けて、
「リミッターを解除。これより反撃に移ります」
凛とした声が廊下に木霊した。
アズリエルが一度も聞いたことの無い声だ。
見ることしか出来なくなった彼の前で、アルギズの背に一対の翼が生えてくる。
ひどくいびつな黒い金属の翼だった。
その翼のまわりに白い光の粒が浮かび、集まり始める。
「行きます」
アルギズ―――」
彼の言葉は風に掻き消された。
立ちつくす彼の向こうで、金属の激突する音が聞こえる。
「戦闘用アンドロイド、か」
そうは言っていても、普段の行いからは想像つかなかったな。
こうやって彼女の能力を見ても何故か、そうは思えなかった。
血の温度を知っているからだろうか。
喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりするからだろうか。
「理屈はどうでもいいんだ」
逡巡を断ち切り、彼は己の出来ることを再び探し始めた。

翼の推力任せにそれを壁に叩きつけ、左右の拳を交互に連続で叩きこむ。
が、それの装甲は強靭で並みの殴りではダメージを与えられそうに無い。
両腕でがっちりとガードされてはなおさら届かない。
自分は遠距離戦闘用のアンドロイドで、近接戦闘用とは違う。
一撃離脱を主とする軽量型のフレームは強い打撃を繰り出せない。
それどころか、自壊する可能性もある。
「それでも――」
一撃の威力を抑えて打撃を加速させて叩きこむ。
文字通りの連打だ。
徐々にそれのガードが崩れ、身体がふらつき始めた。
両腕の状態を示すアイコンが安全を示す緑から、危険を示す赤に変わっていくが、
「全力を出すだけですっ」
左の拳を最大出力で打ち込み、それの身体が注意に浮いた。
間髪入れることなく、シールドを右腕の先から直線状に形成し、空中でバランスを崩しているそれに斬り込んだ。
頭頂部から胴の中心を縦に。
それが両断され、砕けていく音はガラスのようだ。
左右に分かれた身体は同時に床に転がり、すべての動きを止めた。
停止を確認するとアルギズは深く息を吐き、戦闘モードを解除した。
同時に背中の翼が光の粒子となって散った。
ふと、ポケットの中の携帯電話が震えた。
取り出して見ると新着メールが何件か来ている。
それらには目もくれずアズリエルの電話番号をプッシュした。

アズリエルは椅子に被った埃を払って、コンソールの前に腰を下ろした。
ここは地下一階にある警備室だ。
予想したとおり、あの警備ロボットの制御装置が設置してあった。
手前にはコンソールと各警備ロボットのステータスをあらわすモニターが並んでいる。
彼らを追ってきたもの以外はすべて、起動に失敗しているらしく止まっていた。
正面の壁には複数モニターが設置してあり、監視カメラと警備ロボットの視点が映されている。
その中の一つにアルギズが戦っているものもあった。
一瞬だけ彼女の映っているモニターを見て、
「マニュアルもあるし、止めるのには問題なし、か」
安物のプリンタで印刷されているのか、印字がかすれているが読むのに支障は無い。
緊急停止の手順が書かれたページを開いて左手に置き、確認しながらコンソールを素早く操作。
機械の専門知識をあまり必要としないタイプなのが幸いした。
コンソールの右側にあるカバーがスライドし、大きな赤く四角いボタンが出てきた。
ボタンには緊急停止ボタンと日本語で描かれている。
迷わず彼はボタンを強く叩きこむ。
『システム緊急停止。再稼働には警備責任者の――』
音声警告が狭い警備室に流れる。
「全く、どうしてこう大事になりやすいんだろう」
身体を椅子に預けて、目を伏せる。
そして、軽い溜息を着いた。
疲れが身体の中からどっと出てきて、眠りそうになる彼を電子音が引きとめた。
「もしもし」
『今、何処にいるんですか?』
「たぶん、君の足元かな。警備室でちょっとね」
『……止めてたんですね』
「まぁね。そのまま、逃げてしまうのも癪だし」
『そうでしたか。ありがとうございます』
「別にできることをやっただけだよ。それに礼を言うのは僕の方だ。……ありがとう」
『いえ、私も出来ることをやっただけですから……。そろそろ、外が賑やかになってくると思います。はやく移動しましょう』
「了解。騒ぎになるとロクでも無いからね」
『裏の1Fの搬入口集合で良いでしょうか』
「可能な限り急ぐよ」
『お気をつけて』

通話を終えるとアルギズは携帯電話をポケットに戻し、壁に身体を預けて外を見た。
来たと変わらぬ白く真円の月が浮かんでいた。
そんな月を見ていると先まであったことが嘘のように思えてくる。
「無事そうだね」
声の方を見れば、アズリエルがこちらに歩いてきていた。
「アズも無事そうで何よりです」
アルギズの隣に並び、正面にある小さな山を見た。
「おかげさまでね」
「あの小山の頂上がゴールでしたね」
「地図だとそうなってるよ。さっさと行ってしまおうか」
「はい」
薄暗い散歩道に入りながら、アズリエルは思っていたことを問うた。
「そういえば、アズって呼ぶようになってるね」
「え、あ、すみません……」
「別に呼びやすいように呼んでくれれば良いよ」
急に萎むアルギズを見てアズリエルは慌ててフォロー。
「ありがとうございます」
「そっちの方が僕も好きに呼べるしね」
彼は心の中で安堵の息をついた。
「そうでないと不平等ですよね。私も一つ訊いて良いですか?」
「なんだい?」
「警備室から私が何をしていたか見えてましたよね」
「うん」
「どう思いましたか。恐いとか思いませんでしたか?」
「とんでもない。心強く感じたよ」
「良かった……」
微笑んで答える彼女を見て思う。
人間とアンドロイドの違いなんて本当に些細なものでは無いだろうか。
それも、身体の造りが少し違う程度の。
上を見れば何時の間にか鬱蒼とした木々を抜けていた。
「八城さんを待たせては悪いですし、少し走りましょうか」
「追っ手はいないから、安心して走れるね」
「はい」
二人は揃えて歩みを止め、構える。
『スタートッ』