DAYS

第三章 大地 -second earth-

杭を打ち付ける高い音が心地よく空に響きわたる。
機械を使わず人の手だけで開拓するのは簡単なことではない。
だけど、この人工の自然と共存するにはやむを得ない。
目の前に大小様々な風力発電の羽根が見える。
ここを吹き抜ける風は数万キロワットの電力に変換され数少ない医療施設や研究施設、通信設備などに供給される。
耕された緑の畑が延々と並んでいるのがよく見える。
蒼が自転車に乗ってこちらに来る。
「ここにいたのかい」
「ええ、あの何かあったんですか?」
「機関区画の連中が試作の通信端末を作ったから試して欲しいだって」
「そんな私より適任の人がいますよ」
「ご指名だからね。普通に使うだけなんだから良いだろう」
「では、ちょっとその後ろに・・・・・・」
「あ、荷台に乗るな。危ないだろう」
騒ぐ蒼をよそに自転車の後ろに乗った。
仕方なく漕ぎ出す蒼の背中越しに青空に輝く小さな船を見上げる。
黒のスカートが風になびきぱたぱたと音を発てた。
一年前のあの日、私はあの最後のフリースタイルと戦い機能停止寸前にまで陥った。
あのまま漂えば助からなかっただろう。
蒼を始めとする仲間たちが私のことを探してくれた。
通信回線をすべて切断し、隠匿状態で目印は何も無いのにもかかわらず。
でも、目印になるものが一つあった、それは蒼が渡してくれた剣だ。
護られて護って・・・・・・互いに助け合っていることが身に染みてわかった。
あの戦いから3ヶ月で計画に遅れる事なく降下することになった。
最後の個体であることが調査で判明したけど少し不安が残っている。
でもなにもなくここまで来たんだ。
何かあれば・・・・・・もう腰に手を伸ばしても何も無いけど・・・・・・その時は戦おう。
仲間と自分を守るためにも。
蒼の右手が白い光を反射して金属特有の鈍い輝きを放った。
体組織の再生技術は地球と同じようにグングニルでも行えるけど、蒼はしなかった。
なぜなのか、と尋ねたら自分の能力を過信した戒めだと笑った。
感情的になった人間は過ちを犯しやすくなる、そのことを忘れ、前線に飛び出し揚句の果てに負傷した。
君を守るためとはいえ、冷静になっていればもっと早く気づいて助けることができたはずだ。
端末のログを見たら、エネルギー反応の警告があったよ、と苦笑いした。
私がもっと、早く気づいていれば蒼は傷つかなかった、というと私の頭の上に手を乗せて話を続けた。
それは君が反省すべき点であって、僕がどうこう言えることではない。
人のせいにして自分の過ちを避けようなんてずるいしね。
「あの場所はこの辺で一番眺めのいい場所だねぇ」
風に乗って届く蒼の声は何処かふざけている。
「とっても眺めが良いですし、風も気持ち良いです」
「狙撃するのにもちょうどいい場所だろう?」
「遮蔽物は少ないですしあまり適切な場所だといえません」
「それもそうだね」
「ちょっと真面目に返しすぎましたか」
「いや、これくらいがアルギズらしくて良いよ」
上にいた頃はここまでどうでも良い会話ができるとは思っていなかった。
確かに似たような話はしたけどそれだって次の戦いに備えてしたもの、つまり必要に迫られてやったことだ。
それが自然な会話として成り立つことがとても嬉しかった。
「到着、と」
「ありがとうございました」
「それじゃ、畑を見てくるから」
軽く右手を挙げると蒼は再び自転車に跨りペダルを踏み出した。
小さくなる背中に手を振り機関区画の人々が集まる"M2"へ向かった。
大きな建物に入った瞬間、わっと大勢の人に囲まれてしまい身動きが取れなくなった。
「LANAの連中と手を組んで作った逸品さ」
「まだ試作品だけどちゃんとテストはしてあるぜ」
「苦情要望等はお気軽にどうぞ」
「一度に話されても困ります・・・」
はっとして顔を見合わせ静かになった。
叱られて黙った小さな子供のような感じがした。
本当にこういうところは子供なのかもしれない。
「通信範囲は従来の端末と一緒で機能面での拡張が中心・・・・・・ですか」
端末内に保存されている取扱説明書の項目を読み進めていく。
企業の宣伝そっくりのうたい文句は何処か微笑ましい。
正式版ができたらそのまま向こうの人々に売れるかもしれない。
若干、ボタンの配置が変わっていて操作がし易くなっている。
従来型の問題点であったタッチパネルの精度と強度も向上していた。
「後でちゃんとレポートにまとめておきます」
「よろしく頼むよ、アルギズ
「はい」
ジャンクパーツの転がる建物からでると日は真上で輝いていた。
時計を見ると11:08を指している。
そろそろ蒼が畑近くの林で休憩を入れる頃だろう。
初夏の日差しは厳しい。
目を細めながら青空を仰いだ。
低い高度を大きな主翼を持つプロペラ機がゆっくりと飛んでいる。
地上に映る影を追うように蒼のいる畑に足を向けた。

用水路が網のように畑の間を縫い冷たい水が流れている。
主水路には魚の影も見える。
大気中に含まれている水蒸気が多いから、この星が選ばれたという話を聞いたことがある。
大気と温度をある程度、調整すれば凝固して水になる。
そのまま循環して雨となり大地に降り注ぎ河や海を形成する。
海はさすがにまだだけど、川ならいくつかできている。
此処から離れたところにあるから、見ることは出来ないけれど、風には水の気配が含まれている。
ゆっくりと雲が流れ光を遮り景色がくすむ。
林の中に入ると暗さはわからなくなってしまった。
いつものように暗く風は涼しい。
ここまでよく短期間で育ったものだと素直に感心せざるを得ない。
しばらく浅い木の葉の上を踏み締めると少し開けた場所に出た。
その場所の中心に蒼は立っていた。
目を閉じて木々の間を吹き抜ける風の音を確かめているようだ。
見習って私も瞳を閉じる。
視覚の処理に使われていたリソースが聴覚の処理にあてられ、小さな音まで聞こえるようになってきた。
地球から持ってきたという小さな虫の鳴き声がはっきりと聞こえる。
その虫の音に混じって、草と葉を踏む音が近づいてくる。
足音が真横に並ぶと、ぽんと肩に人の手が乗った。
「自分たちのやった仕事が実感できる場所だと僕は思うよ」
「・・・・・・そうですね」
「後、場違いかもしれないけど・・・・・・これ」
渡されたのは赤い拳銃だ。
普通の銃と質感が違い何処か違う。
「試作型のレーザー兵器さ。作りは粗いけど安定しているし精度も高い」
「誰からですか?」
「僕から、だよ。技術部と武器工に協力してもらった」
蒼が私のために作ってくれた。
でもなんて言葉を返せばいいのだろう。
「もう戦うことは無いだろう。でも実用性の高いものを渡したかったんだ」
苦笑いと照れ笑いの混ざった複雑な笑みを浮かべた。
これをもらって嬉しくないのか、違う、私は嬉しいと思っている。
素直にその気持ちを伝えれば言いだけだ。
飾った言葉なんていらない。
「ありがとうございます。大切にしまっておきますね」
「出番はないだろうからしまっておいてよ。道具は使ってこそ道具だけど眠ったままなのも悪くはない」
「はい」
ほほ笑んで頷いた。
少し強い風が吹いて帽子が離れ飛んで行く。
「あ・・・・・・」
「さすがにあの高さだと無理か・・・・・・いや・・・・・・」
木の枝で簡単な魔法陣を描き何かを唱え始めた。
最後にとんと木の枝で中心を叩くと風に乗って帽子が帰って来る。
ふわりと飛んでくる帽子を捕まえると被り直して蒼を見た。
「この程度が僕の魔法の限界さ。補助すらできない」
「蒼が魔法を使うの、初めて見ました」
「宇宙だと風は力を出せないからね」
少し間を開けてから蒼は戻ろうと促した。
帰りながらこれからのことをずっと話した。
自分達のこと、この星のこと・・・話しても尽きることはなかった。
移り行く時の変化を純粋に楽しんでいたしそんな日々がずっと続くと思っていた。

―現実はそんなに甘くはない。

白い壁、少し大きな窓、リノウムの床、電子機器を積載したベッド、ベッドサイドのモニター。
それら全てが蒼を取り囲んでいた。
「・・・・・・アルギズ
目を閉じたまま嗄れた声でベッドの横にいる私を呼んだ。
はい、と返事をするとゆっくりと目を開き私を見た。
時が経てば人は老いる。
当然のことではあるけど、素直に受け入れられる人は少ないだろう。
蒼はすんなりとそのことを受け入れていた。
「なんですか?」
私の声はあのときと変わっていない。
同じ年月を重ねても、変化のない私を彼はどんな思いで見ているのか、と考えるのか怖い。
「わしは良い育ての親になれただろうか?」
「何を言っているんですか。当たり前です」
別れ際の会話じゃないのに声が震えていた。
おかしいな、こんなことなかったのに。
蒼はボタンを操作して、ベッドを起こした。
「君の教育係になってから60年ちょっとか・・・・・・思えばいろいろあった」
その視線は窓の向こうに見える木々に向けられているようだ。
「変なこと言わないで、ください・・・・・・」
「変なことか」
そうだなとつぶやく声が聞こえた。
「最初、君が目覚めた時は裸だったな」
「どうしてそんなこと覚えてるんですか」
涙声なのに笑ってうまく話せない私を見て蒼はかすかに笑った。
「それはよほど印象的だったからだろうね」
笑いが途切れ苦しそうにむせた。
背中をさすろうとすると右手で遮られた。
「普通、アンドロイドは一定の動作などを記憶してあるはずなのに君は倒れた・・・・・・今まで長い間、生きていたが倒れたアンドロイドは君だけだ」
「どうして恥ずかしいところばかり覚えているんですか?」
「印象的だったからだ」
真顔ですぐに答えられるともう何も言えない。
アルギズ、わしはもうすぐ死ぬだろう」
「・・・・・・遺言なんて聞きたくないです」
「遺言というより最後の頼みだ。聞いてくれると嬉しい」
少し考えてから私は縦に首を振った。
蒼はゆっくりとした口調で話し始めた。
「大切な人が消えてしまうことはとても辛いことなんだ。その辛さゆえに人は歩くことを戸惑う新しい人との出会い、新しい世界・・・可能性を閉ざしてしまう。辛さ、痛み簡単な言葉だけど体験したそれは言葉に表せない。君は僕のせいでそれを体験するかもしれない。
でも悲観することはないんだ。いつかは来ることであるし誰にも変えることのできない定めなのだから・・・・・・。だからアルギズ、恐れないで歩み続けて欲しい」
聞き終えると涙がぽろぽろと落ちてシーツに染みを作る。
強固な装甲、堅牢な構造を無効化し大切な人を失いつつある現実が体を奥から突き刺す。

いつかと同じように蒼は私を優しく包んでいた。
泣きたいのは蒼かもしれないのに私が慰められている。
私が震えると義手がかたかたと音を発てる。
その金属音が心の奥で反響して涙が加速する。
「わし・・・・・・いや、僕の分まで泣いて良い」
「悲観することはないって言ってたじゃないですか・・・・・・っ!!」
「それもそうだ・・・・・・泣きたい時は泣いた方が良い。無茶は禁物だ」
深呼吸して涙を堪えて私は口を開いた。
「ひとつ、尋ねてもいいですか?」
「なんだい」
少し躊躇いがあるけど確認しておきたかった。
「良い人生ですか?」
そうだな、と天井に目を彷徨わせ少し考えているようだ。
いつの間にか、日は沈み窓からは規則的に光を放つ船が一隻飛んでいた。
「良い人生だった。ありがとう」
「過去形にしないでください」
「ん、ああ、そうだな」
二人で顔を見合わせ笑ってしまった。
放送が面会時間の終了を告げる。
もっと一緒にいたかったけど、無理は通らない。
病室から出る時に蒼はおやすみ、アルギズと言った。
おやすみと返せずはい、蒼に返して薄暗い廊下に出た。
靴音がリノウムの廊下に響き渡る。
気が付くと肩で息をしながら、風車の回る丘に立っていた。
街の明かりが霞んで見える。
村としか言えなかった集落が今では一つの都市になっている。
今頃、蒼は夢を見ているのだろうか。
不意に通信端末からメールの着信音がした。
アイコンを選択して選択画面を呼び出してメールを開き本文に目を通す。
端末が手から滑り落ちた。

私は唇を噛んで目を伏せていた。
顔を上げると蒼があの時と同じように微笑んでいる。
線香の煙でわずかに霞む。
彼の体は少し大きな金属性の棺に収められている。
蒼とその名前を呼ぶだけでも涙がこぼれ落ちそうだ。
蒼本人の希望で遺体は都市から離れた場所にある森に埋められることになった。
スコップですくった土を棺の上にかける。
蒼の顔が隠れ土が棺全体に被さり見えなくなっていく。

ほかの人々がいなくなり風の音だけが聞こえる。
時間の感覚がすっかりと麻痺してしまったようで今が何時なのかすらわからない。
時計を見て確認するつもりも無い。
「ずっと私が借りたままでした」
誰にも届かない独り言だ。
そう思っても口は勝手に動き言葉を発する。
「こんな形で返すなんて思いもしませんでした」
墓碑の前に蒼の短剣を突き刺し花を添えると赤い拳銃を満天の星空に向ける。
何も言わず引き金を引くと流れ星が軌跡を描いた。
涙が止まらない。
歪む視界に白い軌跡だけがはっきりと見える。
引き金を引いた分だけ流れ星が天を駆ける。
彼のための涙はここですべて流そう。
彼を思い出す時は笑顔でいられるよう。
立ち止まらないという約束を守れるように・・・。
「おやすみなさい・・・・・・蒼」
あの時、言えなかった言葉をそっと口にした。
恐らく彼の耳に届くことは無い。
私は振り返ることも無くその場を後にした。
いつの間にか雨が静かに降り出し木々を揺らし大地とその上にあるものを濡らす。
涙と雨の区別がつかない何かがすべてを洗い流した。