Feathery Instrument

Fine Lagusaz

死ぬと言うこと

世の中で絶対的なものは少ないらしいです。 その中の一つが「死」だそうです。

どう足掻いても今のところ、人は寿命が尽きたり、何かのはずみで死ぬしかないようです。 不老不死なんて言葉はありますが、今のところは空想の産物ですね。

こんなコンテンツを書いている間に着実に死は迫ってきているのでしょう。

もしかすると公開することもなく、PCの前でぱったり死んでいるかも知れません。

明日、交通事故で死ぬかも知れませんし、死ぬという可能性は日常のなかに溢れてます。 ですから、そういうことはあまり考えず生きてます。 いつくるかわからないものに震えて、時間を無駄にするのはいやですから。

もし、自分が死んでしまったら、臓器提供しても良いです。

死んだら遺体は燃やして灰にして、遺骨は骨壺へ詰めて墓の中へ行くより、まだ生きている人間の糧にしてもらいたいです。 燃やした灰はそのまま畑の肥料にでもしてもらった方が嬉しいです。 多少は農作物の養分になるでしょうから。

輪廻転生という生まれ変わりは信じませんが、物質の循環なら信じます。

動物は土に還るのに人だけ墓へ行くのは、なんだか不平等というか、最後まで自然の摂理に逆らっているようであまり、好きにはなれないのです。

コラムに戻る