wired raven

文字通りの日記。主に思ったことやガジェットについて

提督と肉そばと

「さみぃ……っ」 暖房のきいた店内に入ると外の寒さが際立つ。 カウンター席がふさがっているのを見てからテーブル席に腰を下ろした。 寒いからざるそばはないな、と彼はコートを脱ぎながらメニューを覗いていると、 「すみません、相席でもよろしいでしょうか」 と店員に話しかけられた。 「どうぞ」 というと店員は感謝の言葉を述べて、席を離れた。 肉そばにでもするか、と彼が考えていると相席する客が向かいに座った。 存在感の薄いようで影はしっかり見える、そういう不思議な男だった。 「ありがとう。時間に余裕がないので助かる」 と男。 「困ったときはお互い様ですよ」 「ここの店ははじめてなんだ。君はよく来るのか?」 「ああ、月に2回か3回ぐらいは」 「おすすめは何かあるかな?」 寒いから力そばもよさそうだが餅を焼くのに時間がかかる。 急いでいるのならかけそばだがそれでは味気ない。 「肉そばがおすすめですよ。僕はそれを頼むつもりでした」 「では、わたしもそうしよう」 彼は店員を呼ぶと肉そば2つを注文した。 「どんな味か楽しみだ」 「オーソドックスな肉そばですよ。豚肉に軽く味がついている」 「陸の食事は久しぶりでね」 海で仕事しているのだろう、と彼は男を見た。 「わたしの顔に何か?」 「いや、陶器のような肌だと」 「よく言われる。日焼けしてないだけだよ」 と男は笑った。 日焼けしてないでこうなるものか、と思っていると支給された携帯端末が震えた。 男に頭を下げてから彼は端末の画面を確認した。 敵の襲撃にあった遠征部隊が帰還したという連絡だ。 荷物をすべて投棄したのが功を奏し、艦娘には被害がなかったようだ。 秘書艦である叢雲に後をよろしく、と返信する。 「お仕事かな」 「ええ。部下がちょっとやらかしたようです。……怪我がなくてよかったですよ」 「それは不幸中の幸いだ」 「同感です」 そこに肉そばが運ばれてきた。 つゆと肉の香りが混ざり鼻腔をくすぐる。 彼と男は同時に割り箸を割り、いただきます、と手を合わせて、一緒にすすり始めた。 食事中は無言だ。 二人とも勢いよくそばをすすり、肉をつつき、つゆも一滴残らず飲み干した。 「いい食べっぷりですね」 「向こうの食事もうまいが陸の食事のほうがなじみがあるな」 「異国で働いているのですか」 「そんなところだ」 と男は浅く頭を下げて、ポケットから端末を取り出して画面を確認した。 数度、画面をタップしてからすぐにポケットにしまった。 「お仕事ですか?」 「部下から一仕事ついたと連絡があった。優秀な部下に代理を依頼しているが、ここでゆっくりしているとわたしの立場が危うくなる」 「違いないですね」 と彼が返事をすると男はふっと笑った。 勘定を済ませて二人は店の外に出た。 海からの風は冷たい。 彼はコートの襟を立てた。 「久しぶりに人間らしい食事ができたよ、ありがとう」 「そんな大げさな」 彼が振り返ると男は背を向けて歩き出していた。 「縁があればまた会おう」 と男の声が風に乗って聞こえた。 「はい」 と彼は返事をして歩き出す。 しかし、あることに気が付いてすぐに振り返る。 男の向かった方角は海だ。 海に飛び込んだのではないか、と。 すでに男の姿はない。 波止場の縁に立って海面を覗きこむが何も浮いてはいない。 ふと、視線を上げると海面を切って進む何かが見えた。 人の腕だ。 それも左右に揺れながら波間に消えていった。 静かに彼はその場を後にした。