かくも無数のカシス

crow

カシスと夏休み

 純白の少女は、「カシス」と名乗った。
 肌も、服も、目も髪も白い。失礼だが、雪だるまを職人が本気を出して人の形に整えればこうなるんじゃないだろうか、と思うほどの、純白。積もった雪の上、月明かりの下、天地の狭間で舞い踊れば妖精、あるいは精霊のように映えるであろう彼女。しかし彼女はそのどちらでもなく、かといえば人間でもなく。地球外の不定形生命体の、最後の生き残りらしい。らしい、というのはあくまでも本人から聞いた話であって、それを裏付ける証拠は何一つとしてないから、断言を避けているのだ。
 透けるような肌の白さと人外の美貌を除けば、どこからどう見てもただの人間にしか見えないというのもある。
「最近暑いを通り越して熱いわね」
「どう違うんだ」
「文字が違うわ」
 氷入りのウーロン茶をすすり、蝉が騒々しく鳴く中扇風機のかかった縁側で二人でくつろぐ。そんな彼女は雪のように白くとも、雪のように冷たくはない。ちゃんと人肌なのは、さっきコップを渡したときに手が触れてわかっている。
「そんで、美しいお嬢さん。こんな貧相な家に何の御用ですかね」
「理由がなければ行動してはいけないのかしら」
「冷たい茶を飲んで扇風機の前を占拠しながら暑い暑いと言うような子が、快適な都会を出てクソ田舎のクーラーもないような家に来るのに理由がないというのも不自然ではないかい」
 我ながらクールな分析だ。このお茶と同じくらいよく冷えている。
「普段よく世話になっている人のご両親に、一つあいさつをしようと」
「まるで婚前の挨拶だな」
「そのつもりだけれど」
「っ……暑い季節にはぴったりだ」
 口に含んだ茶を噴き出しそうになるのを、無様を晒すまいと必死にこらえ、平常を装った答えを返す。私は恐がりだ、臆病者とも言える。肝試しや、お化け屋敷などへ行こうという話が湧いて出てくれば、耳に入ったとたん脱兎のごとく逃げ出すほど、重度の。なのであまり恐ろしいことは言わないでもらいたい、蚤の心臓が潰れてしまう。
「あら、私とのことは遊びだったのね?」
「むしろ遊んでしかいない」
 ゲーム相手やら話し相手やら。たまに買い物に付き合うくらいで、私と彼女の関係は、恋人のように色っぽい話は何一つとしてない大変健全な付き合いだ。ふれあいと言えば手が当たる程度。他人が見れば、既に一線を越えているように見えるかもしれないが、断じてそのようなことは無い。
「さて、ところで実家の場所を教えた覚えはないんだが」
 二杯目の茶を注ぎ、半分ほど飲み下したところで、疑問を口にする。彼女はいかにしてこの場所を知ったのか。私が帰省してから、彼女がこの家に来たのは一日遅れて。後を追ってきたというわけではないだろう、彼女は若くて、超と頭につくほどの美人だ。人と言えば中年から老人ばかりのこんな辺鄙な田舎では非常に目立つ。駅を降り、宿まで着いて、一晩明かす頃には集落中に噂が出回るだろう。
「たまに送られてくる荷物に書いてあるもの。わかるわよ」
 それは盲点だった。私は誰が誰に宛てて送った荷物かだけを見るからといって、彼女まで同じとは限らない。女性は男性よりも細かなところに目が行く、と聞いたことがあるし、彼女もそういうタイプなのだろう。
「冷蔵庫にアイスが入ってる。いるか?」
「いいの?」
「たかがアイスで美人に喜んでもらえるなら、迷うこたない」
 冷蔵庫を漁り、チューブアイスを引っ張り出して、真ん中をヒザに打ち付けて二つに割り、片方を彼女に投げて渡す。氷そのものを放り投げたわけだから、当たれば痛いが、彼女はそんなへまはしないだろう。
「ありがとう」
 見事、空中でキャッチ。二人同時にわれた部分にかじりついて、中身を食す。冷たく、甘い。昔から変わらない味に、ほっと一息。
「冷たい……」
「氷菓子だから」
 シャリシャリと、口の中を冷やす氷を噛み潰して、溶けて砂糖水になったものを飲み込む。空になったチューブはゴミ箱へポイと捨て、彼女の頬に触れる。一般的に、女性は男性よりも体温が低いと言われるが……実際どうかはさておき、扇風機の前を占領していたおかげで彼女の肌はひやりとして心地よい。
「暑いわよ」
「君がそこをどかないおかげで体が火照ってる。責任を取るか、風を分けてくれ」
 じとり、と、粘つく暑さと同じように、熱と艶を帯びたまなざしが私の瞳を見つめ返す。そのまま目を合わせる事十秒ほど、無言で互いの出方を探り続け、彼女が動いた。
「そうね。いっそ二人で思い切り汗をかけば、少しの風でも涼しく感じられるかも」
 怪しく微笑んだ彼女は、わたしが頬を撫でる手を取り、もう片方の手で私の肩を押し、後ろに倒して馬乗りになる。抵抗はしない、細く見えても彼女は力持ち、するだけ無駄だ。それに、彼女もまさか本心ではあるまい。
「ただいまー……あ、お邪魔しました」
 帰ってきた家族が、開いたばかりのドアを、非常に気まずそうな顔をして閉めた。視線を真っすぐに戻すと、してやったりという具合で彼女が笑っていた。なるほど、やってくれた。らしくない行為だと思っていたら、こういう狙いだったか。
 ああ、一本取られたな、これは。家族にどう説明しようか。また、面倒なことになりそうだ。
「とりあえず、どいてくれ。重い」
「女性に向けて言うことかしら」
「隠し事は嫌いだろう」
「それとこれとは話が別よ。嘘でもいいから軽いとか、愛してるからそのまま退かないでくれとか言ってほしかったわ」
「ふむ」
 まあ確かに彼女の事は悪く思っていない。むしろ良い感情しかないと言える。私の数ある……というほどでもない友人の中で、一番距離の近い人として。正確には人間ではないが、まるで欠点らしい欠点のない人間。宇宙人。
 しかし、友人から一段評価を改めるのは怖いのだ。自称宇宙人、というのがやはり、距離を詰める上で最後の壁となっている。しかし、あちらから詰めてこられれば時間の問題だろう。なにせ、彼女は美人だ。如何に肉体を構成する物質がヒトのそれでなかろうと、外見が良く、中身(ここでいう中身とは性格のこと)を理解できれば、高けれど紙のように薄い壁だ。飛び越えるのは難しくとも、貫くのは容易。壁を超えるのに必要なのは、意志一つのみ。
「あの、お邪魔してもいい?」
 庭に生える木の陰からそっと顔を覗かせるのは、先ほど逃げ出した私の肉親。彼女の事を紹介する前に、なんとか誤解を晴らさなければ。未だ据え膳に手は付けておらず、私は清い身だと。彼女が清いかどうかは知らないが。